用語集

サロンの哲学者たちのキーワードを、わかりやすく解説します。それぞれの定義は、哲学者がその語に込めた意味を要約したものであり、著作を読むことの代わりにはなりません。

318 語

あ

アートマン

ŚAĀdi Śaṅkara

最も内なる自己であり、身体や思考や感情の背後にとどまる純粋な意識。シャンカラにとって、アートマンはブラフマンと異ならない。両者の同一性は、これから成し遂げるべき合一ではなく、つねにすでに真である事実であり、無明だけがそれを覆い隠している。これがウパニシャッドの言葉「汝はそれなり」の意味である。

関連項目:ブラフマン、不二一元論、解脱

愛されるより恐れられよ

MCMachiavel

『君主論』の問い。愛されるのと恐れられるのとではどちらがよいか。両方であるのが理想だが、どちらかを選ばなければならないなら、マキャヴェッリは恐れられるほうが安全だと答える。人間の愛は移ろいやすいからである。とはいえ君主は憎まれることは避けなければならない。

関連項目:事物の実際の真実、マキャヴェリズム

悪の凡庸さ

HAHannah Arendt

ユダヤ人移送の組織者アドルフ・アイヒマンの裁判から生まれた表現。アーレントは1961年にエルサレムでこの裁判を傍聴した。彼女がそこで見たのは怪物ではなく、他者の立場に立って考えることのできない、平凡で熱心な役人であった。最悪の悪は、とくに憎しみを抱くこともなく、考えることをやめた人々によってなされうるのである。

関連項目:思考、全体主義

アタラクシア (魂の平静)

EPIÉpicure EPÉpictète

魂に動揺がないこと。恐れやむなしい欲望から解放された心の静けさである。エピクロスにとって、アタラクシアはアポニア(身体の苦痛がないこと)とともに真の快楽をなし、幸福な生の目的である。エピクテトスのようなストア派もまた、判断を正しく用いることによってそれを求める。

関連項目:アポニア、欲望の分類、表象

アパテイア

EPÉpictète

恐れ、怒り、妬みといった心を乱す情念がないことであり、無感覚のことではない。それは、何が私たちの権内にあり何がないかについての正しい判断の実りである。自分の力の及ぶものだけを望む人には、もはや動揺する理由がない。

関連項目:アタラクシア、表象

アブダクション

PECharles Sanders Peirce

驚くべき事実を説明するために仮説を立てる推論。もしその仮説が真であれば、その事実は当然のことになるだろう。パースにとって、それは新しい観念をもたらす唯一の推論形式である。そののち演繹がその帰結を引き出し、帰納がそれを検証する。

関連項目:可謬主義

ア・プリオリ/ア・ポステリオリ

KAKant

認識が経験に依存しないとき、それはア・プリオリである。そのとき認識は普遍的で必然的であり、「あらゆる出来事には原因がある」や数学の真理がその例である。認識が経験に由来するとき、それはア・ポステリオリであり、「この壁は白い」がその例である。カントによれば、私たちの認識はすべて経験とともに始まるが、だからといってすべてが経験から生じるわけではない。

関連項目:超越論的、カテゴリー

アポニア (身体の無苦痛)

EPIÉpicure

身体に苦痛がないこと。エピクロスによれば、アタラクシアとともに真の快楽をなす。それは享楽を積み重ねることではなく、身体が苦しまず、魂が乱されていない状態である。

関連項目:アタラクシア

アポロン的/ディオニュソス的

NINietzsche

『悲劇の誕生』によれば、ギリシア悲劇を生み出した二つの力。アポロン的なものは、アポロン神に由来し、秩序、節度、美しい形、夢である。ディオニュソス的なものは、ディオニュソス神に由来し、陶酔、過剰、生との融合である。

あらゆる価値の価値転換

NINietzsche

キリスト教道徳とプラトン主義道徳から受け継がれ、別の世界のために地上の生を貶める価値を転覆すること。生と身体とこの世界を肯定する価値を創造することが課題である。

関連項目:神の死、ニヒリズム

憐れみ

RORousseau

感覚をもつあらゆる存在者、とりわけ同胞が苦しむのを見ることへの自然な嫌悪。理性に先立つ憐れみは、自然状態において自己愛を和らげ、社会的な徳の源泉となる。

関連項目:自己愛/利己愛、自然的善性、共感

アンガージュマン (社会参加)

SAJean-Paul Sartre

人間は自分がすることにも、しないことにも責任を負うのだから、作家や知識人は自分の時代の問題に対して立場を表明しなければならない。黙ることもまた選ぶことであり、同意することなのである。

関連項目:自由の刑に処せられている

生き方としての民主主義

DWJohn Dewey

デューイにとって、民主主義とはまず統治の形態ではなく、伝え合い分かち合われる経験からなる、ともに生きる仕方である。それは具体的な制度のなかで、まず学校において、たえず新たにつくり直されなければならない。

関連項目:教育と成長

意志 (プロアイレシス)

EPÉpictète

判断し、選び、欲する能力。私たちに完全に属している唯一のものである。牢獄も、病も、暴君も、それを強制することはできない。エピクテトスにとって、真の善と悪はそこにしかない。

関連項目:私たちの権内にあるもの、内なる自由

意識の流れ

JAWilliam James

ジェイムズが『心理学原理』のなかで示したイメージ。意識は、糸に通した真珠のような別々の状態の連なりではなく、川のような連続した流れであり、そこでは何ひとつまったく同じかたちで戻ってくることはない。この表現はのちに文学の手法に影響を与えた。

関連項目:根本的経験論

五つの道

TAThomas d’Aquin

世界から出発して、理性によって神の存在を証明できることを示すトマス・アクィナスの五つの論証。運動は第一の動者を、原因は第一原因を、偶然的な存在者は必然的な存在者を、完全性の段階は完全な存在者を、目的へと向かう事物の秩序はそれを導く知性を前提とする。

関連項目:不動の動者、必然的存在者、信仰と理性

一般意志

RORousseau

ひとつの団体とみなされた人民の意志であり、つねに共通の利益を目指す。それは、ルソーが全体意志と呼ぶ、個別の利益の単なる総和ではない。一般意志の表現である法に従うとき、各人は自分自身にのみ従うのである。これが政治的正統性の基礎である。

関連項目:社会契約

イデア (形相)

PLPlaton

知性によってとらえられる、永遠で不変の実在であり、感覚的な事物はその不完全な写しにすぎない。美しいものは数多くあるが、それらを美しくしている美のイデアはただひとつである。イデアは感覚によってではなく知性によってとらえられる。アリストテレスはこの分離した世界を退け、形相は事物そのもののうちにあると考えることになる。

関連項目:感覚的世界/叡智的世界、善のイデア、形相と質料

イデオロギー

MAMarx

マルクスにおいて、ある階級の利害を反映しながら、自らを普遍的で自然なものとして示す観念の総体。「支配階級の思想は、どの時代においても支配的な思想である」。それは既存の社会秩序を正当化し、その支配関係を覆い隠す。

関連項目:土台/上部構造、民衆の阿片

意味とは使用である

WIWittgenstein

多くの場合、語の意味とは言語におけるその使用である。物に貼られたラベルのように語が何を「指すか」を探すのではなく、それがどう使われているかを見なければならない。ウィトゲンシュタインはこうして、自らが『論理哲学論考』で擁護していた考え方を批判する。

関連項目:言語ゲーム、論理哲学論考

因果性と習慣

HUHume

私たちは原因そのものも、二つの出来事のあいだの必然的な結合も、決して知覚しない。見えるのは、ある玉突きの球の衝突と別の球の動きのように、二つの出来事が規則正しく続いて起こるということだけである。この反復から生まれる習慣が、前者が起こるやいなや後者を予期させるのである。

関連項目:帰納の問題、印象と観念

印象と観念

HUHume

ヒュームにとって、心の内容はすべて、印象——私たちが経験するとおりの生き生きとした感覚や感情——と、その弱められた写しとして記憶や想像のうちにある観念とに分かれる。ある観念に意味があるかどうかを知るには、それがどの印象に由来するかを探さなければならない。

関連項目:因果性と習慣、知覚の束としての自己

陰陽

LALaozi

その交替によって万物を動かす、二つの相補的な力。陰は暗く、柔らかく、受容的であり、陽は明るく、堅く、能動的である。『道徳経』によれば、「万物は陰を負いて陽を抱く」。老子はとくに陰の側、すなわち柔らかなもの、低いもの、女性的なものを重んじる。

関連項目:万物、道

ヴィルトゥ (virtù)

MCMachiavel

マキャヴェッリにおけるヴィルトゥは道徳的な徳ではない。それは、政治家が効果的に行動し、好機をつかむことを可能にする気力、大胆さ、手腕である。ヴィルトゥはフォルトゥナと対立し、それを制しようとする。

関連項目:フォルトゥナ、事物の実際の真実

内なる自由

EPÉpictète

自らもかつて奴隷であったエピクテトスにとって、自由な人とは、自分の権内にあるものだけを望む人である。そのとき何ものも彼を妨げたり強いたりすることはできない。自分の欲望や恐れのとりこである金持ちの主人は、自分の判断を支配する奴隷よりもいっそう奴隷なのである。

関連項目:私たちの権内にあるもの、意志

運命愛 (アモール・ファティ)

NINietzsche

「運命への愛」。何ひとつ違ったものであってほしいと望まないこと。前に向かっても、後ろに向かっても、永遠にわたっても。起こることを単に耐え忍ぶのではなく、ましてやそれを隠すのでもなく、それを愛することである。

関連項目:永劫回帰

永遠の相のもとに (sub specie aeternitatis)

SPSpinoza

「永遠の相のもとに」。ものを永遠の相のもとに理解するとは、それを時間のある時点に生じた単なる出来事としてではなく、神の本性から必然的に生じるものとしてとらえることである。理性と直観知はこのように事物を認識する。

関連項目:認識の三種類

永劫回帰

NINietzsche

ニーチェが試練として示した思想。もしあなたが自分の人生を、あらゆる苦しみとあらゆる喜びとともに、まったく同じように無限に繰り返し生きなければならないとしたら?それを意志することのできる者は、自らの存在に全面的な然りを言うことになる。永劫回帰はひとつの基準である。もう一度生きたいと望めるように生きよ。

関連項目:運命愛、超人

エス・自我・超自我

FRFreud

フロイトによる心的装置の三つの審級。エスは欲動の貯蔵庫であり、欲動は即座の満足を求める。超自我は道徳的な審級であり、親の禁止を内面化することによって形成される。自我は部分的に意識的であり、エスと超自我と現実の要求を調停しようとする。

関連項目:無意識、欲動

エディプス・コンプレックス

FRFreud DLDeleuze

フロイトにとって、子どもが両親に対して抱く愛情と敵意の欲望の総体であり、それと知らずに父を殺し母と結婚したギリシアの英雄にちなむ。それをくぐり抜けることが人格と超自我の形成を方向づける。ドゥルーズとガタリは『アンチ・オイディプス』のなかで、精神分析が欲望をこの家族の三角形に閉じこめていると批判する。

関連項目:エス・自我・超自我、欲望する生産

エロース

PLPlaton FRFreud

プラトンにおいて、愛は美への欲求であり、段階を追って高まることができる。ひとつの美しい身体に惹かれることから、すべての美しい身体への愛へ、さらに魂や知識の美へ、そしてついには美そのものの観照へと至る。これが『饗宴』の説くところである。フロイトにおいて、エロースは結合し保存しようとする生の欲動の総体を指し、死の欲動と対立する。

関連項目:イデア、死の欲動

縁起 (プラティーティヤ・サムトパーダ)

BOLe Bouddha NANagarjuna

あらゆる現象は他の現象に依存して生じるという原理。「此れ有るが故に彼有り、此れ滅するが故に彼滅す」。それ自身だけで存在するものは何もない。ブッダはそこに苦を生み出す原因の連鎖を見る。ナーガールジュナはそこから、あらゆるものは自性を欠いている、すなわち空であると結論する。

関連項目:空、無我、自性

遠近法主義 (パースペクティヴィズム)

NINietzsche

どこからでもない視点というものは存在しないという考え。あらゆる認識はひとつの解釈であり、ある視点からなされ、ある生のかたちに奉仕する。「事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」と、ニーチェは遺稿に記している。

関連項目:力への意志

老い

BESimone de Beauvoir

『老い』(1970年)のなかでシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、老いが単なる生物学的事実ではなく、社会がつくり出す境遇であることを示す。社会はしばしば高齢者を役に立たない物の地位に追いやるのである。彼女はそこに、女性の境遇と同じように、変えていかなければならない状況を見る。

関連項目:状況

愚かな一貫性

EMRalph Waldo Emerson

エマソンは、愚かな一貫性は小さな心の化け物だと書く。成長する人は、たとえ昨日言ったことと矛盾しても、今日考えていることをあえて言わなければならない。偽りの首尾一貫よりも、生きられた真理のほうがよいのである。

関連項目:自己信頼

恩寵

AUAugustin d’Hippone TAThomas d’Aquin

いかなる行いによっても値することのない、神の無償の賜物。アウグスティヌスにとって、罪によって傷ついた意志が善を意志し、行うことができるためには、恩寵が必要である。トマス・アクィナスは恩寵を自然と調和するものと考える。「恩寵は自然を破壊せず、かえってこれを完成する」。

関連項目:原罪、自由意志

か

階級闘争

MAMarx

「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』に書いている。自由民と奴隷、領主と農奴、ブルジョワとプロレタリア。対立する利害をもつ社会集団がぶつかり合い、その対立が歴史の原動力となる。

関連項目:プロレタリアート、史的唯物論

概念の創造

DLDeleuze

ドゥルーズとガタリの『哲学とは何か』(1991年)によれば、哲学は観照でも、反省でも、コミュニケーションでもない。それは概念を形成し、発明し、制作する技術である。概念は与えられた真理ではなく、ある問題に応える創造物である。

関連項目:内在平面

隠れて生きよ

EPIÉpicure

動揺と恐れの源である公的生活や名誉や政治から離れて生き、友人たちのあいだで心の平静を守るよう勧めるエピクロス派の格言。エピクロスにとって、友情は幸福な生の最大の善のひとつである。

関連項目:アタラクシア

仮言命法

KAKant

「この結果を望むなら、あのことをせよ」という形の条件つきの命令。たとえば、健康でいたいなら運動せよ。それはある目的に達するための手段を示すが、その目的の道徳的価値については何も語らない。カントはこれを定言命法と対比する。

関連項目:定言命法

家族的類似

WIWittgenstein

チェス、サッカー、トランプ、子どもの輪遊び。すべての「ゲーム」に共通するものは何か。ただひとつの共通点はない、とウィトゲンシュタインは答える。あるのは、家族の顔立ちのように重なり合い交差する類似の網の目である。それぞれの語の背後に共通の本質を探すべきではない。

関連項目:意味とは使用である

渇愛 (タンハー)

BOLe Bouddha

快楽に、存在に、さらには非存在にさえ執着する貪欲な欲望。第二の聖諦によれば、苦を生み出し、輪廻を続けさせるのはこの渇愛である。

関連項目:四聖諦、輪廻

カテゴリー (範疇)

KAKant

悟性の純粋概念。精神が認識するすべてのものに適用する形式であり、単一性、実在性、実体、因果性などがある。カントは十二のカテゴリーを数え、それらを四つのグループ(量、質、関係、様相)に分ける。カテゴリーは経験に由来するのではない。経験を可能にするのがカテゴリーなのである。

関連項目:ア・プリオリ/ア・ポステリオリ、現象

可謬主義

PECharles Sanders Peirce

私たちの知識はどれも絶対に確実ではなく、すべて修正されうるという説。それは人を落胆させるどころか、科学的方法の基礎となる。科学は、探究者の共同体のなかで、実在との持続的な突き合わせによって自らの誤りを正していくのである。

関連項目:アブダクション、信念と疑念

神がなければ、すべては許される

DODostoïevski

『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフに帰せられる考えだが、まさにこの言い回しが小説のなかにそのまま出てくるわけではない。神も魂の不死もなければ、もはや何も善悪の根拠とはならない。人々は行動し続けるだろうが、その行為はもはや本当の意味で罪あるものでも有徳なものでもなくなる。ドストエフスキーはこの思想の目くるめく帰結を探究する。

関連項目:大審問官、入場券を返す

神即自然 (Deus sive Natura)

SPSpinoza

「神、すなわち自然」。スピノザが神を自然全体と同一視する言葉である。神とは、世界の外にいて意志をもち目的を追求する創造者ではなく、あらゆるものがその一部であるような、唯一で無限の実在である。

関連項目:実体、能産的自然/所産的自然

神の国は汝らのうちにあり

TOTolstoï

トルストイの論考の題名(1894年)。教会がつけ加えた教義や奇跡や儀式を取り除いた真のキリスト教は、制度ではなく生き方である。それは儀式によってではなく、それが変える生活によって確かめられるのである。

関連項目:暴力による悪への無抵抗

神の死

NINietzsche

『悦ばしき知識』のなかで「狂気の人」が告げる言葉。「神は死んだ!神は死んだままだ!そして私たちが神を殺したのだ!」ニーチェは神が存在しないことを証明しているのではない。神への信仰がもはや私たちの価値の基礎にならないことを確認しているのである。それは途方もない出来事であり、人間をニヒリズムの脅威にさらすと同時に、新しい価値を創造する可能性を開く。

関連項目:ニヒリズム、あらゆる価値の価値転換

神の誠実

DEDescartes

完全である神は欺く者ではありえない。欺くことは不完全さだからである。この誠実が、私たちの明晰判明な観念が真であること、そして外界が実際に存在することを保証する。私たちの誤りは神からではなく、知性が明晰に考える以上のことを判断してしまう私たちの意志から来るのである。

関連項目:明晰判明な観念、コギト

感覚的世界/叡智的世界

PLPlaton

プラトンにおける実在の二つの段階。感覚によって知覚される感覚的世界は移ろいやすく、思わく(意見)しか生まない。イデアの世界である叡智的世界は安定しており、真の知識の対象である。前者は後者の像にすぎない。

関連項目:イデア、ドクサ/エピステーメー、洞窟の比喩

感情 (アフェクトゥス)

SPSpinoza

私たちの活動能力を変化させるもの、すなわちそれを増大させたり減少させたりするものであり、同時にその変化について私たちが抱く観念でもある。スピノザによれば、すべての感情は三つの基本感情から生じる。欲望、喜び(より大きな力への移行)、悲しみ(より小さな力への移行)である。私たちがその完全な原因でないとき感情は受動(情念)であり、私たちの本性のみから生じるとき能動である。

関連項目:コナトゥス、十全な観念/非十全な観念

完成可能性

RORousseau

自らを完成させていく能力であり、人間を動物から区別するもの。技芸や学問や理性の発展を可能にしたのはこの能力である。しかしルソーによれば、それはまた人間のあらゆる不幸の源でもある。それが人間を平和な原初の状態から引き離したからである。

関連項目:不平等の起源

感染としての芸術

TOTolstoï

『芸術とは何か』(1897年)のなかでトルストイは、芸術を、芸術家が体験した感情を、作品を受け取る人々へと一種の感染によって伝えることと定義する。真の芸術は、誠実で道徳的で、すべての人に理解できる感情を伝えなければならず、エリートの洗練された趣味におもねってはならない。彼はこの批判を自分自身の小説にも向けた。

簡素な生活

TOTolstoï

『懺悔』に語られた道徳的危機ののち、トルストイは農民の簡素な生活のうちに人生の意味を求める。贅沢を捨て、自らの手で土地を耕し、わずかなもので暮らすこと。彼はそこに、芸術や思想のどんな洗練よりも多くの真理を見る。

関連項目:神の国は汝らのうちにあり

寛容

VOVoltaire

他人が考え信じる自由を尊重すること。ヴォルテールはこれを闘いの目標とし、とりわけプロテスタントのジャン・カラスが1762年に処刑されたのちに『寛容論』を書いた。意見を理由に人を迫害することは、彼の目には社会に対する最大の犯罪であった。

関連項目:恥知らずを叩きつぶせ

緩和された懐疑論

HUHume

すべてを論駁しようとするのではなく、私たちの知性の限界を思い起こさせる、理にかなった懐疑。それは謙虚さを促し、信念を証拠に釣り合わせること、経験を超える思弁を警戒することを求める。ヒュームが、証言は経験が自然法則を確立するほど確かには奇跡を確立できないと判断するのは、この原理にもとづいてである。

関連項目:帰納の問題

義

KOConfucius MEMencius

利害とは無関係に、なすべきことを感じとる心。「君子は義に喩り、小人は利に喩る」。孟子は義を四徳のひとつとし、羞悪の心、すなわち悪を前にして私たちを踏みとどまらせる恥の感情という芽生えから生じるものとした。

関連項目:君子、仁、四端

器官なき身体

DLDeleuze

詩人アントナン・アルトーから借りた表現。ドゥルーズとガタリにとって、それは各部分に機能を割り当てる、押しつけられた組織化から解放された身体を指す。身体は、欲望が自由に流れることのできる表面となる。

関連項目:欲望する生産

記号 (記号論)

PECharles Sanders Peirce

パースにとって、すべての思考は記号によって行われ、記号はつねに三つの項を結びつける。記号そのもの、それが表す対象、そして解釈項、すなわち記号が心のうちに生み出す効果であり、この解釈項がまたひとつの記号となって、果てしない連鎖をなす。彼はとくに、対象に似ているイコン(肖像画)、対象と物理的に結びついているインデックス(火に対する煙)、約束によって対象を指すシンボル(語)を区別する。

関連項目:プラグマティズムの格率

帰納の問題

HUHume

未来が過去に似ているということを、論理的に保証するものは何もない。太陽が毎日昇ってきたからといって、明日も昇ることが証明されるわけではない。私たちがそう信じるのは推論によってではなく習慣によってである。ヒュームはそれを信じるのをやめよと言うのではなく、事実についての私たちの知識は決して論証の確実性には達しないと認めるよう促すのである。

関連項目:因果性と習慣、緩和された懐疑論

義務

KAKant

道徳法則への尊敬から行為をなす必然性。カントは、義務にかなった行為——たとえば、得意客を失わないためという単なる利害から、経験の浅い客をだまさない商人——と、義務にもとづく行為とを区別する。道徳的価値をもつのは後者だけである。

関連項目:定言命法、自律

客体化

BRBerdiaev

生きた自由な精神が、必然性と非人格的なものと集団的なものに従う客体の世界へと凝固する過程。ベルジャーエフにとって、この客体化された世界は精神の堕落である。生の課題は、それを突き抜けて真の自由と交わりへと向かうことである。

関連項目:人格と個体

虚

LALaozi

老子にとって、空虚は欠如ではなく、ものを役立たせるものである。車輪の轂(こしき)の空洞があるから車輪は回り、器の空洞があるから器を満たすことができ、部屋の空間があるから住むことができる。聖人は自らのうちにこの虚を養う。何ものにも塞がれていない心の開かれである。

関連項目:無為、樸

教育と成長

DWJohn Dewey

デューイにとって、教育は将来の生活のための準備でも、頭に知識を詰めこむことでもない。それは生活そのものであり、反省的な経験による絶えざる成長である。生徒は、事実を暗記することによってではなく、共同の活動や現実の問題を通して、なすことによって学ぶ。

関連項目:生き方としての民主主義、探究

共感

HUHume

共鳴して震える弦のように、他人の感情を分かち合う自然な傾向。ヒュームにとって、共感は私たちの道徳的判断の源泉である。私たちが他人にとって有用なものや快いものを是認するのは、その人たちの喜びを感じるからである。

関連項目:理性は情念の奴隷である、憐れみ

共産主義

MAMarx

マルクスにおいて、階級も生産手段の私有もない未来の社会であり、そこでは各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる。彼はそれを、押しつけるべき理想としてではなく、歴史の現実の運動の帰結として考える。

関連項目:プロレタリアート、階級闘争

共同体主義 (コミュナリズム)

NKKwame Nkrumah

エンクルマが伝統的なアフリカ社会に見いだした平等主義的で共同体的な原理。そこでは土地や資源は共同で所有されていた。彼はそこに現代のアフリカ社会主義の基礎を見る。

関連項目:コンシェンシズム

共和国

MCMachiavel

『ディスコルシ(ローマ史論)』のなかで、マキャヴェッリはローマを手本として共和国を支持する立場を示す。それは法と市民軍に支えられた政体であり、そこでは貴族と民衆のあいだの対立が、悪であるどころか、自由を生き生きと保つのである。よく秩序づけられた共和国は君主国よりも長続きする。

関連項目:ヴィルトゥ

苦 (ドゥッカ)

BOLe Bouddha

しばしば「苦しみ」と訳されるパーリ語だが、より広く不満足を意味する。どんな経験も、快楽でさえ、過ぎ去るがゆえに決して完全には満たしてくれないということである。これは四聖諦の第一の真理が確認する事実である。

関連項目:四聖諦、渇愛、無常

空 (シューニャター)

NANagarjuna

自性がないこと。いかなるものも独立して存在するのではなく、すべては他のものに依存して生じる。したがって空とは無ではなく、縁起を別の仕方で言い表したものである。ナーガールジュナは、空そのものもまた空であると強調する。空を執着すべき新たな主張にしてしまえば、空が癒すはずだった誤りにふたたび陥ることになる。

関連項目:自性、縁起、二諦

空間と時間 (感性のア・プリオリな形式)

LELeibniz KAKant

ライプニッツにとって、空間と時間は事物がそのなかに置かれる絶対的な容器ではなく、事物どうしの関係の秩序、すなわち共存するものの秩序と継起するものの秩序である。カントにとってもまた、それらは物自体の性質ではなく、私たちの感性が与えられるすべてのものを受け取る形式であり、いわば決して外すことのできない眼鏡である。したがって、私たちが知覚するものはすべて必然的に空間と時間のうちにある。

関連項目:現象、ア・プリオリ/ア・ポステリオリ

偶然主義/連続主義 (タイキズム/シネキズム)

PECharles Sanders Peirce

パースの宇宙論の二つの説。偶然主義(タイキズム)は、ギリシア語のテュケー(「偶然」)に由来し、偶然が宇宙において実際の役割を果たしていると主張する。自然法則そのものもあらかじめ定まっていたのではなく、習慣のように少しずつ形成されてきたのである。連続主義(シネキズム)は、ギリシア語のシュネケース(「連続した」)に由来し、実在のうちのすべては連続しており、絶対的な断絶はないと主張する。

関連項目:可謬主義

空中人間

IBAvicenne

アヴィセンナの思考実験。一瞬にして創造され、空中に浮かび、目を覆われ、四肢を広げて、何にも、自分の身体にさえ触れない人間を想像してみよう。彼は何も知覚しないが、それでも自分が存在することを知っているだろう。アヴィセンナはここから、魂は身体から独立して、自らを直接に知ると結論する。

関連項目:コギト

苦悩

DODostoïevski

ドストエフスキーにおいて、苦悩は最大の幸福の計算によって取り除くべき悪であるだけではない。それはおそらく意識の起源そのものであり、『罪と罰』のラスコーリニコフのように、人を浄め、贖いへと導くことができる。

関連項目:地下室の人間、入場券を返す

クリナメン (偏倚(ずれ))

EPIÉpicure

原子が落下する途中で、定まらない時と場所において起こす、わずかな自発的なずれ。それがなければ、原子はまっすぐに落ちて決して出会うことがなく、すべては厳格な運命に従うことになる。このずれのおかげで物体が形づくられ、自由が可能になる。ラテン語のクリナメンという語は、紀元前一世紀のローマの詩人で、エピクロスの遠い弟子であるルクレティウスに由来する。

関連項目:原子論

君子

KOConfucius

もとは生まれによる貴族を指したが、孔子においては、行いによって高貴な人となる。君子は利よりも義を重んじ、他人を責める前に自らを正し、生涯学び続けようと努める。君子は「小人」と対比される。

関連項目:義、仁

形相と質料 (質料形相論)

ARAristote TAThomas d’Aquin

あらゆる自然物は、それが何からできているかという質料と、それをそのものたらしめる形相とからなる。形相はプラトンのイデアのように分離した世界にあるのではなく、事物そのもののうちにある。生物においては、形相とは魂である。トマス・アクィナスはこの考えを受け継ぐ。人間の魂は身体の形相であって、牢獄のように身体のなかに閉じこめられた完全な実体ではない。それでも魂は死後も存続しうるのである。

関連項目:四原因説、イデア、実体

系譜学

NINietzsche

ニーチェの方法。私たちの価値の永遠の基礎を探す代わりに、その歴史的・心理的な起源を探る。誰が「善」と「悪」という言葉を発明したのか、誰の利益のために、どのような種類の生から?ある価値は、それが主張するよりもはるかに高貴でない起源をもっているかもしれない。

関連項目:ルサンチマン、主人道徳/奴隷道徳

啓蒙専制

VOVoltaire

哲学者の助言を受けた絶対君主が、理性に従って国を改革する統治形態。プロイセンのフリードリヒ二世やロシアのエカチェリーナ二世と文通していたヴォルテールは、革命による激変よりも、このような上からの改革を好んだ。

関連項目:寛容

解脱 (モークシャ)

ŚAĀdi Śaṅkara

輪廻からの解放。シャンカラにとって、いかなる行為も、儀礼も、信愛も、それを生み出すには足りない。解脱は到達すべき新しい状態ではなく、つねにそうであったこと、すなわち自己とブラフマンの同一性を認識することだからである。

関連項目:解脱の知、アートマン、業

解脱の知 (ジュニャーナ)

ŚAĀdi Śaṅkara

学んで得た知識ではなく、実在についての直接の知。自己がブラフマンであることを見ることである。シャンカラにとって、解放するのはこの知だけである。光だけが、蛇がただの縄であったことを見せるように。

関連項目:解脱、無明

決定論

DIDiderot

起こることはすべて先行する原因の必然的な結果であり、自由は錯覚である。『運命論者ジャックとその主人』のなかでディドロはこの考えをジャックに語らせる。ジャックは隊長の口癖をまねて、私たちに起こることはすべて「天上に書かれていた」と繰り返すが、ディドロは同時に、実際には私たちがいかに自由であるかのように生きているかをユーモアをもって示す。

関連項目:唯物論

言語ゲーム

WIWittgenstein

『哲学探究』の概念。話すことは単に世界を記述することではなく、命令する、物語を語る、冗談を言う、祈る、感謝するといった、規則に従った活動に参加することである。語は、そのようなゲームのなかでのみ意味をもち、ゲームそのものはひとつの生活形式のなかに組みこまれている。

関連項目:意味とは使用である、生活形式

原罪

AUAugustin d’Hippone

アウグスティヌスによれば、アダムとエバの罪は全人類に受け継がれ、人間の本性を傷つけた。無知と秩序を失った欲望(情欲)がその結果である。それ以来、人間は神の助けなしには善を有効に意志することができなくなった。

関連項目:恩寵、自由意志

現実態と可能態

ARAristote TAThomas d’Aquin

可能態とは何かになる能力であり、現実態とはその実現である。種子は可能態において木であり、成長した木は現実態においてその木である。運動とは可能態から現実態への移行である。トマス・アクィナスは神を「純粋現実態」と呼ぶ。神のうちには、なお実現されるべきものは何もない。

関連項目:不動の動者、四原因説

現象

KAKant

空間、時間、そして私たちの精神のカテゴリーによって形づくられて、私たちに現れるままのもの。私たちは現象しか認識しない。それが科学の領域であり、科学が確実なのは、まさにそれが可能な経験に自らを限っているからである。

関連項目:物自体、カテゴリー

原子論

EPIÉpicure

存在するものはすべて、空虚のなかを動く、分割できない永遠の粒子である原子からなる。原子の結合があらゆる物体をつくり、魂もまたそうであって、死とともに散り散りになる。エピクロスは人々を恐怖から解放するために、デモクリトスのこの自然学を受け継いだ。自然のなかに神々の気まぐれに左右されるものは何もない。

関連項目:クリナメン、死は私たちにとって何ものでもない

権力と暴力

HAHannah Arendt

アーレントは、人々がともに行動する能力から生まれ、その合意にもとづく権力と、道具に頼り、権力を破壊することはできても決してそれを生み出すことはできない暴力とを、はっきり区別する。暴力だけが支配するところでは、権力は消え失せているのである。

関連項目:複数性

業 (カルマ)

BOLe Bouddha ŚAĀdi Śaṅkara

「行為」を意味するサンスクリット語。意図をもってなされた行為はすべて痕跡を残し、この生か別の生において結果を生む。ブッダにとって、業をつくるのは意図である。シャンカラにとって、業は経験の世界を支配するが、いかなる行為も解脱をもたらすことはできない。解脱はただ知によるのである。

関連項目:輪廻、解脱

孝

KOConfucius

親の生前にも死後にも、親に対して払うべき敬意と配慮。孔子は孝を社会的な徳の根本と見る。親を敬うことを学ぶ者は、家族の秩序を、そして社会の秩序を尊重することを学ぶのである。

関連項目:礼、仁

幸福 (エウダイモニア)

ARAristote

つかのまの感情としてではなく、よく生きられた人生として理解された幸福。全生涯にわたって続けられる、徳に従った魂の活動である。それは最高善であり、他の何かのためではなく、それ自体のために求められる。アリストテレスが言うように、一羽の燕が春をつくるのではなく、ただ一日の幸福が幸福をつくるのでもない。

関連項目:中庸、ハビトゥス

コギト (我思う、ゆえに我あり)

DEDescartes

デカルトが懐疑の果てに見いだした最初の確実性。たとえ悪しき霊がすべてについて私を欺いているとしても、欺かれるためには私は考えなければならず、考えるためには私は存在しなければならない。「我思う、ゆえに我あり」(『方法序説』の表現。『省察』では「私はある、私は存在する」)は揺るぎない真理であり、彼はその上にすべての知を再建しようとする。

関連項目:方法的懐疑、心身二元論、空中人間

胡蝶の夢

ZHZhuangzi

荘子はある日、自分が蝶になって楽しく飛びまわり、自分が荘周であることを知らない夢を見た。目覚めると、自分が蝶になった夢を見ていた荘周なのか、荘周になった夢を見ている蝶なのか、わからなくなった。この話は、私たちの確信のもろさと、ものごとの絶えざる変化を示している。

関連項目:万物斉同、物化

国家批判

TOTolstoï

トルストイは、国家、軍隊、裁判所、財産を、富める者と権力者が法と秩序の名において貧しい者に押しつける、組織された暴力の形態と見る。彼の立場はキリスト教アナキズムと呼ばれてきた。

関連項目:暴力による悪への無抵抗

コナトゥス

SPSpinoza

「努力」を意味するラテン語。あらゆるものは、それ自身のうちにある限り、自己の存在に固執しようと努める。この努力は数ある性質のひとつではなく、そのものの現実的本質そのものである。人間において、自己を意識したコナトゥスは欲望と呼ばれる。

関連項目:感情

コンシェンシズム (Consciencism)

NKKwame Nkrumah

エンクルマが脱植民地化したアフリカのために提唱した哲学(1964年)。アフリカ社会の三つの遺産——アフリカの伝統、イスラームの寄与、ヨーロッパ・キリスト教の寄与——を認め、唯物論的な基盤の上でそれらを収斂させ、過去を理想化することなく、伝統的なアフリカ社会の平等主義を取り戻す社会を目指す。

関連項目:共同体主義、史的唯物論

根本的経験論

JAWilliam James

経験のうちに与えられたものだけを認めるべきだが、そこに与えられたものはすべて、事物のあいだの関係も含めて認めるべきだという説。ジェイムズはこれによって、経験のうちにばらばらの感覚しか見なかった古典的な経験論者に対立する。

関連項目:意識の流れ、多元論

さ

差異

DLDeleuze

『差異と反復』(1968年)のなかでドゥルーズは、差異を、すでに同一である二つのもののあいだの単なる隔たりとしてではなく、それ自体において考えようとする。彼は、プラトンからヘーゲルに至る伝統が、つねに差異を同一性に従属させてきたことを批判する。

関連項目:生成

最善の可能世界

LELeibniz VOVoltaire

無限に善く、賢く、力ある神は、自らが考えたすべての可能世界のなかから最善の世界を選んで創造した。それは悪のない世界ではなく、悪がより大きな全体の完全性の条件となっている世界である。ヴォルテールは『カンディード』のなかで、パングロスという人物を通してこの説をあざ笑った。

関連項目:弁神論、楽天主義批判

錯覚としての宗教

FRFreud

『ある錯覚の未来』(1927年)のなかでフロイトは、宗教を錯覚、すなわち願望から生まれた信念と呼ぶ。自然と死を前にした無力さから、父に守られるように守られたいという願望である。錯覚は必ずしも誤りではないが、人はそれが真であってほしいと願うがゆえにそれを信じるのである。

関連項目:民衆の阿片

悟り (菩提)

BOLe Bouddha

ものごとの本性——無常、苦、無我——を直接に、そして解放的に理解することであり、それによって無明は終わる。「ブッダ」という言葉はまさに「目覚めた人」を意味する。迷いの眠りから目覚めた人である。

関連項目:涅槃、四聖諦

三種類の人々

AVAverroès

アヴェロエスは真理に達する三つの仕方を区別する。論証によるもの(哲学者)、弁証、すなわち蓋然的な論拠によるもの(神学者)、そして弁論、すなわち心象と勧告によるもの(大多数の人々)である。聖典はそれぞれの人にその能力に応じて語りかける。

関連項目:比喩的解釈

暫定的道徳

DEDescartes

知を再建しているあいだ、行動において優柔不断にならないために、デカルトが自らに課した暫定的な行動規則。自国の法律と習慣に従うこと。いったん下した決断には断固として従うこと。運命よりもむしろ自分自身に打ち克つよう努めること。

関連項目:方法の規則

産婆術

SOSocrate

「出産を助ける技術」。助産婦の息子であったソクラテスは、自らを精神の産婆にたとえる。彼は問いによって既成の知識を教えるのではなく、対話の相手が自分のうちに宿している考えを自ら生み出し、真なるものと偽なるものを見分けられるよう助けるのである。

関連項目:ソクラテス的アイロニー、論駁

シーシュポス (シシュポス)

CACamus

ギリシア神話の英雄で、神々によって、山頂まで岩を永遠に押し上げる刑に処せられた。岩は頂上に着くとすぐにまた転がり落ちる。カミュにとって、自らの運命を自覚しながらもなお自らの務めに忠実なシーシュポスは、不条理の英雄である。「シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ」。

関連項目:不条理、反抗

四句分別 (テトラレンマ)

NANagarjuna

四つの可能性を検討する論法。あるものは有る、無い、有りかつ無い、有るのでも無いのでもない。ナーガールジュナはしばしばこの四つをすべて退け、いかなる主張も実在をとらえることはできず、自分自身も守るべき立場をもたないことを示す。

関連項目:中観派、空

四原因説

ARAristote

ものを理解するには、四つの問いに答えなければならない。質料因、すなわちそれは何からできているか(彫像の青銅)。形相因、すなわちそれは何であり、どんな形をもつか。作用因(始動因)、すなわち誰が、あるいは何がそれを生み出したか(彫刻家)。目的因、すなわちそれは何のために存在するか。目的因を幻想とみなす人々に対して、アリストテレスは目的因が自然のうちに確かに実在すると考える。

関連項目:形相と質料、現実態と可能態

自己愛/利己愛 (amour de soi / amour-propre)

RORousseau

自己愛は、あらゆる存在者に自らの保存を気づかわせる、自然で善い感情である。利己愛(自尊心)は、他人との比較から生まれる社会的で人為的な感情であり、他人より重んじられたいと人を駆り立てる。それは虚栄心や嫉妬、そして私たちの不幸の大部分の源である。

関連項目:自然的善性、不平等の起源

思考

HAHannah Arendt

アーレントにとって、考えるとは自分自身との声なき対話であり、それは私たちに自分自身と調和して生きることを求める。それは学者の特権ではなく、誰もがもつ能力であり、その欠如が悪の凡庸さを可能にするのである。

関連項目:悪の凡庸さ

自己欺瞞 (mauvaise foi)

SAJean-Paul Sartre BESimone de Beauvoir

自らを物にすることによって自分の自由から逃れるために、自分自身に嘘をつく仕方。自分の本性や性格や状況を、まるでそれらが自分の代わりに決めるかのように持ち出すことである。サルトルは、カフェのボーイを演じているカフェのボーイ、まるでそれ以外のものではありえないかのような男の例を挙げる。

関連項目:自由の刑に処せられている、即自/対自

自己信頼 (Self-Reliance)

EMRalph Waldo Emerson

エマソンの有名な随筆の題名。誰もが、他人の意見や過去の権威ではなく、自分自身の思考と自分自身の声を信頼すべきである。「模倣は自殺である」。人間であろうとする者は、非順応者でなければならない。

関連項目:愚かな一貫性、大霊

自性 (スヴァバーヴァ)

NANagarjuna

他の何ものにも依存しない、それ自身による存在。私たちはそれを、ものにも、人にも、自分自身にも、無意識のうちに認めてしまう。ナーガールジュナは、いかなるものも自性をもたないことを示す。他に依存するものは、それ自身だけで存在することはできないのである。

関連項目:空、縁起

四聖諦

BOLe Bouddha

ブッダの教えの核心であり、医師の診断のように述べられる。人生には苦がある(苦諦)。苦には原因、すなわち渇愛がある(集諦)。苦は滅することができ、その滅が涅槃である(滅諦)。そして、そこへ至る道、すなわち八正道がある(道諦)。

関連項目:苦、渇愛、涅槃、八正道

自然 (おのずからしかり)

LALaozi

自発性、すなわち外からの強制なしに、おのずから生じるもの。老子によれば、道そのものが「おのずからしかる」ものを手本とする(「道は自然に法る」)。それは無為が守ろうとする存在のあり方である。

関連項目:無為、道

自然状態

HOThomas Hobbes RORousseau

政治的権力のない人間の、想定された状態。ホッブズにとって、それは万人の万人に対する闘争であり、そこでは人間の生活は孤独で貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い。それは悪意からではなく、誰もが傷つきやすく、互いに競い合うからである。反対にルソーにとって、孤独で憐れみの情に動かされる自然人は平和的であり、彼を堕落させたのは社会と私有財産である。

関連項目:万人の万人に対する闘争、社会契約、自然的善性

自然的善性

RORousseau

ルソーの主張。人間は生まれつき善良であり、人間を悪くするのは社会である。ルソー自身は「高貴な野蛮人」とは言っていない。彼が言いたいのは、悪徳は人間の本性に刻まれているのではなく、社会生活、私有財産、他人との比較から生まれるということである。

関連項目:自然状態、自己愛/利己愛、憐れみ

自然に従って生きる

EPÉpictète

ストア派の原則。宇宙を秩序づける理性と、理性的存在者としての私たち自身の本性とに一致して生きること。それは、起こることを世界の秩序の一部として受け入れ、私たちの権内にあることにおいて最善を尽くすことを意味する。

関連項目:私たちの権内にあるもの、役者のたとえ

自然の鏡

RYRichard Rorty

ローティが『哲学と自然の鏡』(1979年)で批判したイメージ。精神は現実を忠実に映し出す役目を負った鏡のようなものであり、哲学の仕事はその映り方の質を検証することだ、というのである。ローティは、プラトンとデカルトから受け継がれたこの隠喩を、論駁するのではなく、捨て去ることを提案する。

関連項目:終極の語彙、傍観者的知識観の批判

自然法

TAThomas d’Aquin HOThomas Hobbes

トマス・アクィナスにとって、自然法とは神の永遠法の理性的被造物における分有である。それは、あらゆる啓示に先立って、各人が理性だけによって知ることのできる道徳的原理の総体であり、その第一のものは善をなし悪を避けるべしというものである。ホッブズにおいて、自然法とは平和を確保するために理性が見いだす規則であり、その第一のものは、平和を得る望みがあるかぎり平和を求めよというものである。

関連項目:信仰と理性、自然状態

自存する存在そのもの (ipsum esse subsistens)

TAThomas d’Aquin

トマス・アクィナスが神に与える名。神は数ある存在者のひとつではなく、本質と存在がひとつである存在そのものである。他のすべてのものは存在を受け取るが、神だけがそれ自身によって存在である。

関連項目:本質と存在、現実態と可能態

四端

MEMencius

すべての人間に備わる四つの道徳的素質。惻隠の心、羞悪の心、辞譲の心、是非の心である。これらを育てれば、仁・義・礼・智の四徳となる。孟子は有名な例を挙げる。子どもが今にも井戸に落ちようとしているのを見れば、誰でもすぐに、何の打算もなく、いたみあわれむ心を起こすというのである。

関連項目:性善説、仁、義

実践理性の要請

KAKant

自由、魂の不死、神の存在。これらはあらゆる経験を超えているので証明することはできないが、道徳はそれらを想定することを求める。これらは認識ではなく、道徳法則が意味をもつために実践理性が受け入れる条件である。

関連項目:二律背反、物自体

実存は本質に先立つ

SAJean-Paul Sartre BESimone de Beauvoir

実存主義の中心的な定式。ペーパーナイフのような製作物は、存在する前に定められた本質をもっている。職人はそれが何になるかをあらかじめ知っている。人間は逆に、まず存在し、そののち自らの選択と行為によって自らを定める。あらかじめ定められた人間の本性はない。シモーヌ・ド・ボーヴォワールはここからとくに、「女性の本性」なるものは存在しないと結論する。

関連項目:自由の刑に処せられている、人は女に生まれるのではない、女になるのだ

実体

ARAristote DEDescartes SPSpinoza LELeibniz

他の何ものも必要とせずにそれ自身によって存在し、変化のもとで持続するもの。アリストテレスにとって第一実体とは、性質を担う具体的な個物——この人間、この馬——である。デカルトにとって、被造の実体には思惟と延長の二種類があり、両者は実在的に区別される。スピノザにとって実体は無限なものがただひとつ存在するだけであり、それが神すなわち自然であって、他のすべてはそのあり方、すなわち様態である。ライプニッツにとって、実在は無数の単純な実体、すなわちモナドからなる。

関連項目:属性、様態、心身二元論、モナド、形相と質料

私的言語

WIWittgenstein

話し手の内的な感覚を指すために、話し手本人にしか理解できないような言語。ウィトゲンシュタインは、そのような言語は不可能だと主張する。規則に従うことは、たとえ自分の痛みに名をつけるためであっても、公共的な実践を前提とする。そこではじめて、規則に正しく従っていることと、従っていると思いこんでいるだけのこととを区別できるのである。

関連項目:生活形式

史的唯物論

MAMarx NKKwame Nkrumah

マルクスの歴史観(この表現はエンゲルスによる)。世界を動かすのは観念ではなく、生活の物質的条件、すなわち人間が自らの生活手段を生産する仕方である。「人間の意識が人間の存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在が人間の意識を規定するのである」。エンクルマはこの唯物論に依拠してアフリカの解放を考えた。

関連項目:土台/上部構造、階級闘争、弁証法

死の欲動

FRFreud

1920年に『快感原則の彼岸』でフロイトが導入した概念。破壊へ、そして無生物の状態への回帰へと向かう傾向であり、自分自身に、あるいは他者に向けられる。それは、結合し保存しようとする生の欲動であるエロースと対立する。ときにタナトスと呼ばれるが、フロイト自身はこの語をほとんど用いなかった。

関連項目:エロース、文化への不満

死は私たちにとって何ものでもない

EPIÉpicure

死の恐怖に対するエピクロスの議論。あらゆる善と悪は感覚のうちにあるが、死はあらゆる感覚の終わりである。私たちが存在するあいだ死は存在せず、死が存在するとき私たちはもはや存在しない。それゆえ死には何も恐れるものはない。

関連項目:四つの薬、原子論

至福

SPSpinoza

最高の幸福であり、すべてのものを神から、すなわち自然から理解し、そこから持続的な喜びを感じることにある。スピノザはこれを神への知的愛と呼ぶ。至福は後から与えられる報酬ではない。至福は徳の報酬ではなく、徳そのものである(『エチカ』第五部定理四二)。

関連項目:認識の三種類、神即自然

事物の実際の真実 (verità effettuale)

MCMachiavel

マキャヴェッリは、想像上の共和国ではなく、ものごとが実際に起こる仕方に即そうとする。人間はこうあってほしいという姿ではなく、あるがままの姿でとらえなければならない。だからこそ君主は、善良でない態度をとりうることを学び、必要に応じてそれを使い分けなければならないのである。

関連項目:ヴィルトゥ、愛されるより恐れられよ

資本

MAMarx

マルクスにとって、資本とは単なる貨幣や機械の総額ではない。それは社会的関係、すなわち生産手段を所有する者と労働力しかもたない者とのあいだの関係である。資本は果てしなく蓄積へと駆り立てられる。そしてブルジョワジーは、プロレタリアートをつくり出すことによって、マルクスとエンゲルスの言葉によれば、自らの「墓掘人」を生み出すのである。

関連項目:剰余価値、プロレタリアート

社会契約

HOThomas Hobbes RORousseau

人々が自然状態から抜け出して政治社会を設立するための合意。ホッブズにおいては、各人は安全と引き換えに自らの権利を絶対的な主権者に譲渡する。ルソーにおいては、各人は自らを共同体に全面的に譲り渡す。そのため一般意志に従うとき、各人は自分自身にのみ従うのであり、以前と同じように自由であり続ける。

関連項目:リヴァイアサン、一般意志、自然状態

自由意志

AUAugustin d’Hippone

神が人間に与えた選択の能力。アウグスティヌスにとって、道徳的な悪の原因は神ではなく、自由意志の誤った使用である。しかし堕罪以来、意志はいわば捕らわれている。原理的には自由であっても、真に善へと向かうためには恩寵を必要とするのである。

関連項目:恩寵、善の欠如としての悪

宗教的経験

JAWilliam James

『宗教的経験の諸相』(1902年)のなかでジェイムズは、宗教を教義によってではなく、信者たちが生きた経験と、それが彼らの生活にもたらした実りによって研究する。その歴史的形態にどんな行き過ぎがあろうとも、宗教的経験は存在について何か実在的なものを明らかにしていると彼には思われる。

関連項目:信ずる意志

終極の語彙

RYRichard Rorty

私たちが自分の行為や信念や人生を正当化するのに用いる一連の言葉であり、それを越えるともはや論拠をもたないもの。ローティにとって、どの語彙も他の語彙より現実に近いということはない。語彙は私たちの目的にとっての有用性によって評価され、知的な進歩とは、ものごとを別の仕方で記述し直すことにある。

関連項目:リベラル・アイロニスト、プラグマティズム

十全な観念/非十全な観念

SPSpinoza

十全な観念は完全であり、自らが表すものを説明するのに必要なものを自分のうちに含んでいる。非十全な観念は部分的で混乱しており、原因から切り離された結果を私たちに示す。スピノザにとって誤りとは何か積極的なものではなく、非十全な観念が含む認識の欠如にすぎない。

関連項目:認識の三種類、感情

充足理由律

LELeibniz

何ごとも、それがなぜ別様ではなくこのようであるのかという理由なしには起こらない。たとえその理由がたいてい私たちには知られていないとしても。ライプニッツによれば、矛盾律とともに、私たちの推論の二大原理のひとつである。

関連項目:理性の真理/事実の真理、最善の可能世界

自由の刑に処せられている

SAJean-Paul Sartre

人間は自由であることを選んだのではないが、自由であることをやめることはできない。選ぶのを拒むことさえ、やはりひとつの選択である。したがって人間は、自分が自分を何にするかについて全面的に責任を負い、自らを選ぶことによって、他者に示す人間の姿をも引き受けるのである。

関連項目:不安、自己欺瞞、アンガージュマン

重力と恩寵

WESimone Weil

シモーヌ・ヴェイユの死後に出版された思索集の題名。重力とは、私たちのうちで一種の自然法則によって下へと引っぱるもののすべて、すなわち利己心、埋め合わせの追求、力への屈服を指す。別のところから来る恩寵だけが、魂をこの法則の上へと引き上げることができる。

関連項目:脱創造、恩寵

自由連想

FRFreud

精神分析療法の基本規則。患者は、ばかげていると思えることや気まずいことであっても、選んだり検閲したりせずに、心に浮かぶことをすべて話す。この思考の連鎖によって、抑圧されたものへとさかのぼることができる。

関連項目:夢、抑圧

主人道徳/奴隷道徳

NINietzsche

主人道徳は自己肯定から生まれる。「よい」とは、高貴なもの、強いもの、誇り高いものである。奴隷道徳はルサンチマンから生まれる。それは自分より優れたものに否と言うことから始まり、謙遜、同情、服従を「善」と呼ぶ。ニーチェにとって、キリスト教道徳は後者に属する。

関連項目:ルサンチマン、系譜学

出生性

HAHannah Arendt

すべての人間は生まれることによって新しい始まりであるという事実。アーレントにとって、それこそが行為を可能にするものである。人間はつねに何か新しい、予測できないことを始めることができる。そしてそれが、人間の事柄における希望の根拠となる。

関連項目:労働・仕事・活動、複数性

昇華

FRFreud

性欲動が、芸術的創造や知的探究のような、性的でない、社会的に価値ある目標へとそらされる過程。それは文化の源泉のひとつである。

関連項目:欲動、文化への不満

松果腺

DEDescartes

脳の中央にある小さな腺で、デカルトはそこを魂と身体の結合の主要な場所とした。魂はそれを通じて身体の印象を受け取り、身体にはたらきかけるというのである。この仮説は、これほど異なる二つの実体を結びつけることがいかに難しいかを示している。

関連項目:心身二元論

状況

BESimone de Beauvoir

それぞれの自由が行使される具体的な条件——身体、時代、社会階級、性、年齢——の総体。ボーヴォワールにとって、私たちは自由であるが、つねに状況のなかにある。女性や高齢者に押しつけられた状況のように、ある状況は人を押しつけられた役割に閉じこめることによって、自由を制限するのである。

関連項目:人は女に生まれるのではない、女になるのだ、老い

消極教育

RORousseau

『エミール』の原理。最初の教育は、徳や真理を教えこむのではなく、子どもの心を悪徳から、その精神を誤りから守るべきである。それは子どもの自然な発達に従い、書物によってよりも、ものごとの経験によって学ばせる。

関連項目:自然的善性

商品の物神性 (商品フェティシズム)

MAMarx

商品が、まるで魔法の品のように、それ自体で価値をもっているかのように見える錯覚。実際には、その価値は人間の労働と人間どうしの関係から来ている。こうして社会的関係は、物と物との関係という姿をとるのである。

関連項目:疎外、資本

逍遥遊

ZHZhuangzi

「逍遥遊」は『荘子』第一篇の題名である。己にも、功にも、名にもとらわれず、自由に遊ぶ心のことであり、「至人は己無く、神人は功無く、聖人は名無し」と言われる。小さな鳥には思いも及ばない高みへと舞い上がる大鵬が、その最初の姿を示している。

関連項目:無用の用、心斎

剰余価値

MAMarx

労働者が生み出す価値と、彼が受け取る賃金との差額。労働者は一日分の労働力を売るが、一日のうちの一部の時間で、すでに賃金に相当する価値を生み出している。残りの時間、彼は支払われずに働く。資本家が取得するこの追加の価値が、マルクスによれば利潤の源泉である。

関連項目:労働力、資本

自律

KAKant

意志が理性によって自らに自らの法則を与える能力。カントにとって、それは道徳と人間の尊厳の基礎である。その反対である他律とは、規則を外から受け取ること、すなわち欲望、恐れ、権威、あるいは幸福の追求から受け取ることである。

関連項目:定言命法、義務

思慮 (フロネーシス)

ARAristote

実践的な知恵。具体的な状況において、自分にとっても他者にとっても何が善いかをよく思案する能力である。それは書物からだけでなく、経験によって学ばれる。中庸を見分けることを可能にするのは思慮である。

関連項目:中庸

仁

KOConfucius MEMencius

人間らしさの徳。他者との関係において私たちを真に人間たらしめる資質である。孔子は仁についていくつかの言い方をしている。「人を愛す」、あるいは「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」。孟子は、すべての人のうちに仁の芽生え、すなわち惻隠の心があり、それを育てさえすればよいと考える。

関連項目:礼、義、四端

人格と個体

BRBerdiaev

ベルジャーエフは、生物学的・社会的な範疇であり、種や社会の単なる一部である個体と、精神的で自由で創造的な実在であり、社会にも国家にも人種にも制度としての教会にも、いかなる全体にも吸収されえない人格とを区別する。

関連項目:創られざる自由、客体化

信仰と理性

AUAugustin d’Hippone AVAverroès TAThomas d’Aquin

両者の関係という問題は中世思想全体を貫いている。アウグスティヌスは、理解するために信じ、信じるために理解するよう勧める。アヴェロエス(イブン・ルシュド)は、哲学と啓示は同じ真理に由来するので矛盾しえないと主張する。トマス・アクィナスは、神の存在のように理性だけで知りうることと、三位一体のように信仰だけが教えることとを区別する。両者はともに神に由来するので、真に対立することはありえない。

関連項目:比喩的解釈、五つの道、自然法

心斎

ZHZhuangzi

荘子が説く修養。心から意見や欲望や蓄えた知識を取り去り、すべてを受け入れる虚のように開かれた状態になることである。「之を聴くに耳を以てする無くして、之を聴くに心を以てせよ。之を聴くに心を以てする無くして、之を聴くに気を以てせよ」。

関連項目:虚、逍遥遊

新植民地主義

NKKwame Nkrumah

クワメ・エンクルマにとって、帝国主義のもっとも危険な形態。ある国家は主権の外見——国旗、軍隊、国連の議席——をすべて備えているが、その経済政策は旧植民地宗主国や外国の金融利益によって外から決められている。彼はこれを『新植民地主義——帝国主義の最終段階』(1965年)で分析している。

関連項目:パン・アフリカニズム、コンシェンシズム

心身二元論

DEDescartes

魂と身体は実在的に区別される二つの実体であるという説。魂は延長をもたない考えるものであり、身体は考えない延長をもつものである。すると難題は、両者の結合をどう説明するかになる。経験はそれでも、その結合を私たちに絶えず感じさせているのである。

関連項目:実体、コギト、松果腺

信ずる意志

JAWilliam James

ジェイムズの論文の題名(1896年)。証拠が決着をつけるのに十分でなく、問いが生死にかかわり、決断を先延ばしにできないとき——宗教的信仰のように——、私たちには理性が証明する以上のことを信じる権利がある。選ぶことを拒むのも、やはりひとつの選択なのである。

関連項目:真理、宗教的経験

信念と疑念

PECharles Sanders Peirce

パースにとって、信念とは私たちを落ち着かせる行動の習慣であり、疑念とは私たちを探究へと駆り立てる不安な状態である。探究とは、疑念から信念へと移ろうとする闘いである。それを始動させることができるのは、実際の困難によって引き起こされた本物の疑念だけである。デカルトのように、命令に従うようにすべてを疑うのは見せかけにすぎない。

関連項目:方法的懐疑、プラグマティズムの格率、探究

真理 (ジェイムズにおける)

JAWilliam James

ウィリアム・ジェイムズにとって、観念は、それを信じることが経験のなかで私たちをうまく導くかぎりにおいて真である。真理は観念の動かない性質ではない。真理は観念に「起こる」のであり、観念はその効果によって確かめられることで真となるのである。

関連項目:プラグマティズム、信ずる意志

生活形式

WIWittgenstein

私たちの言語が根ざしている、共有された実践や習慣や行動の仕方の総体。「言語を想像することは、ひとつの生活形式を想像することである」とウィトゲンシュタインは言う。他人の言葉を理解するには、少なくとも部分的には、その人たちの生活形式を分かち合っていなければならない。

関連項目:言語ゲーム、私的言語

生成

DLDeleuze

ドゥルーズにとって、生成は固定した存在に先立つ。現実は安定した同一性からではなく、過程と変容からなる。生成するとは、模倣することでも似ることでもない。それは何か新しいものが生まれる近傍の領域に入ることである。

関連項目:差異、リゾーム

性善説

MEMencius

人間の本性はもともと善であるという孟子の説。「人の性の善なるは、猶お水の下きに就くがごとし」。悪は本性から来るのではなく、本性をそらせたりなおざりにしたりする境遇から来る。木を伐り尽くされた牛山が、やがてもとから禿げ山であったかのように見えてしまうように。

関連項目:四端

正名

KOConfucius

名を実に一致させること。「君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり」。孔子にとって、言葉が本来指し示すべきものを指さなくなるときに混乱が始まる。政治とはまず名を正すことである。

関連項目:徳治

世界の永遠性

AVAverroès

アヴェロエスがアリストテレスに従い、神学者ガザーリーに反対して擁護した説。世界は、職人が物をつくるように、時間のある時点で創造されたのではない。世界は神に全面的に依存しており、神が永遠にそれを現実化しているのである。

関連項目:不動の動者

節度 (正午の思想)

CACamus

ギリシアと地中海に着想を得た「正午の思想」であり、カミュはそれを過剰のイデオロギーに対置する。それは自らの限界を知り、絶対を退け、反抗と生への敬意とのあいだの緊張を保ち続ける思想である。

関連項目:反抗

全体主義

HAHannah Arendt

ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』(1951年)によれば、ナチズムとスターリニズムは単なる専制ではなく、根本的に新しい権力の形態である。イデオロギーとテロルにもとづき、収容所を実験室として、人間の複数性と自発性を破壊することによって人間を全面的に支配しようとするのである。

関連項目:複数性、悪の凡庸さ

善のイデア

PLPlaton

イデアのうちで最高のもので、存在のかなたにさえある。太陽がものを見えるようにし、成長させるように、善はイデアを認識可能にし、それに存在を与える。善を知ることは哲学の目的であり、正しい統治の条件である。

関連項目:イデア、洞窟の比喩、哲人王

善の欠如としての悪

AUAugustin d’Hippone TAThomas d’Aquin

悪はものではなく、それ自体で存在する実体でもない。悪とは、本来あるべき善が欠けていることであり、盲目が視力の欠如であるのと同じである。はじめはマニ教——悪を善に対立する実在の力とみなす教え——に従っていたアウグスティヌスは、存在するものはすべて、存在する限りにおいて善であるという考えに至った。トマス・アクィナスもこれを受け継いでいる。

関連項目:原罪、自由意志

想起説 (アナムネーシス)

PLPlaton

学ぶとは思い出すことであるという説。魂は肉体に宿る前にイデアを観ていたが、その後忘れてしまったのである。『メノン』のなかでソクラテスは、単純な問いだけによって、一度も教わったことのない幾何学の真理を若い奴隷に再発見させる。

関連項目:イデア、産婆術

創造的行為

BRBerdiaev

ベルジャーエフにとって、人間は救われるだけでなく、創造するよう召されている。創造は霊的生活に付け加えられた贅沢ではなく、その本質的な一部であり、神そのものの創造への呼びかけに対する応答である。これが彼の著書『創造の意味』(1916年)の主題である。

関連項目:創られざる自由

疎外

MAMarx

自分自身にとってよそよそしいものになること。『経済学・哲学草稿』(1844年)のなかでマルクスは、労働者が自らの労働の生産物を、強制となった自らの活動を、そしてついには自らの人間性を奪われているさまを描く。労働者は労働のなかで自己を実現するのではなく、そこで自己を失うのである。

関連項目:労働力、商品の物神性

即自/対自

SAJean-Paul Sartre

『存在と無』における存在の二つの領域。即自存在は物の存在である。それはあるところのものであり、充実していて、自分自身に対して距離をもたない。対自存在は意識の存在である。それは決して単にあるところのものであるのではなく、まだそうでないものへと絶えず自らを投げかける。

関連項目:自己欺瞞、他者のまなざし

属性

SPSpinoza

知性が実体について、その本質を構成するものとして知覚するもの。神は無限に多くの属性をもつが、私たちが知っているのは思惟と延長(物質)の二つだけである。したがって身体と精神は別々の二つのものではなく、二つの属性のもとで表現された同一の実在である。

関連項目:実体、様態

ソクラテス的アイロニー

SOSocrate

自らを無知な者として示し、まるで相手から教えを受けようとするかのように問いかけるソクラテスの態度。問いが進むにつれて、相手が知っていると思っていたことを実は知らないということが明らかになる。この語はギリシア語のエイローネイア、すなわち「とぼけること」、実際より物知らずに見せることに由来する。

関連項目:産婆術、無知の知

た

大審問官

DODostoïevski

『カラマーゾフの兄弟』に挿入された物語。異端審問の時代のセビリアにキリストが再臨し、大審問官は彼を逮捕させる。大審問官は、人間にあまりに重い自由を与えたとキリストを責める。教会のほうは、その自由と引き換えに、人々にパンを与え、奇跡と神秘と権威によって彼らを治めているのだ、と。キリストはただ口づけで応えるだけである。

関連項目:神がなければ、すべては許される

ダイモニオン

SOSocrate

ソクラテスが子どもの頃から聞いていたと語る「神的な合図」の声。それは彼に何をすべきかを命じることは決してなく、これからしようとしていることをしないようにと警告するだけであった。

大霊 (オーヴァーソウル)

EMRalph Waldo Emerson

エマソンにとって、個々の魂がその光線のようなものであるような、唯一の普遍的精神。だからこそ誰もが自分自身のうちに真理を見いだすことができ、新しい目で見られた自然が私たちに語りかけ、私たちを教えるのである。

関連項目:超絶主義、自己信頼

多元論

JAWilliam James

ジェイムズにとって、宇宙はすべてがすでに決定されている完成した合理的な塊ではなく、新しさや偶然や人間の努力が本当に意味をもつ、多元的で未完成の世界である。そこでは未来はあらかじめ書かれていない。

関連項目:根本的経験論

他者 (l'Autre)

BESimone de Beauvoir

シモーヌ・ド・ボーヴォワールにとって、女性は男性の他者として構成されてきた。男性は自らを主体、基準、本質的なものとして立て、女性は男性との関係において、非本質的なものとして定義される。この関係には何ひとつ自然なところはなく、それは歴史の産物である。

関連項目:人は女に生まれるのではない、女になるのだ

他者のまなざし

SAJean-Paul Sartre

鍵穴から覗いているところを誰かに見つかると、私は恥を感じる。その人のまなざしのもとで私は対象となり、自分の存在には自分の手を逃れる次元があることを発見する。他者は私が自分自身を知るために欠かせない。戯曲『出口なし』の台詞「地獄とは他人のことだ」は、他人の目を通してしか自分を判断しないような関係を指している。

関連項目:即自/対自

脱創造 (décréation)

WESimone Weil

自己主張を放棄し、自らのうちに空虚の場所をつくって、神を来たらせること。シモーヌ・ヴェイユにとって、神は世界を存在させるために身を引いた。人間はこの愛に応えて、もはや中心であろうと望まないことに同意するのである。

関連項目:重力と恩寵、注意

脱領土化

DLDeleuze

何かが自らの領土を離れ、そのコードや結びつきから解き放たれる運動。それはつねに再領土化、すなわちふたたび固定することをともなう。ドゥルーズとガタリにとって、資本主義は貨幣・労働・欲望の流れを絶えず脱領土化し、それを別のところで再領土化する。

関連項目:リゾーム、逃走線

魂の延長としての時間 (distentio animi)

AUAugustin d’Hippone

『告白』のなかでアウグスティヌスは問う。時間とは何か。誰も私に問わなければ、私は知っている。説明しようとすると、私は知らない。過去はもはやなく、未来はまだない。時間は魂のうちにしか存在せず、魂は記憶によって過去へ、注意によって現在へ、期待によって未来へと広がっているのである。

関連項目:内面性

魂の三部分説

PLPlaton

魂は三つの部分からなる。導くべき理性、勇気と怒りの座である気概(テューモス)、そして身体の快楽へと向かう欲望である。正義とは、魂においても国家においても、各部分が自らにふさわしい働きを果たす調和である。

関連項目:哲人王

魂の世話 (魂への配慮)

SOSocrate

ソクラテスにとって人生の第一の務め。富や名声や身体を気にかけるよりも、自分の魂をできるかぎりよいものにすることである。彼はこれをアテナイの同胞たちに倦むことなく求めた。吟味されない生は生きるに値しないからである。

関連項目:誰も自ら進んで悪をなさない、汝自身を知れ

誰も自ら進んで悪をなさない

SOSocrate

誰も悪と知りながら悪をなすことはないというソクラテスの主張。悪く行う者は、何が本当に自分にとって善いのかについて思い違いをしているのである。したがって徳は一種の知であり、悪徳は無知である。教育と自己吟味こそが悪の治療薬である。

関連項目:魂の世話、無知の知

探究

DWJohn Dewey

デューイにとって、思考はつねに、具体的に生きられた問題的な状況から生まれる。探究とは、仮説を立てて検証することによって、この不確定な状況を解決された状況へと変えていく過程である。論理学のすべてはこの手続きに帰着し、それは科学にも日常生活にも同じようにあてはまる。

関連項目:プラグマティズム、道具主義

知覚の束としての自己

HUHume

ヒュームが自分自身のうちを見つめるとき、彼は決して安定した「自己」を見いださず、熱さや冷たさ、快や苦といった、なんらかの個別の知覚を見いだすだけである。自己とは、驚くべき速さで次々に続く知覚の束にすぎず、その統一性は想像力がつくり出したものである。

関連項目:印象と観念、無我

地下室の人間

DODostoïevski

『地下室の手記』の語り手は、人間が自然法則によって弾かれる「ピアノの鍵盤」であることを拒む。たとえ幸福に満たされても、人間は自分が鍵盤ではなく人間であることを証明するために、何か愚かなことをしでかすだろう。彼は計算された幸福よりも自分の気まぐれを好み、「二二が四」という自明さに反抗する。

関連項目:苦悩

力

WESimone Weil

論考『イーリアス、あるいは力の詩篇』のなかでシモーヌ・ヴェイユは、力を、それに従わされる者を誰であれ物に変えてしまうもの、極端な場合には死体に変えてしまうものと定義する。力は、それを被る者も、それを所有していると思っている者も、等しく石のように固くする。

関連項目:不幸

力への意志

NINietzsche

ニーチェにとって、生命の根底にあるのは自己保存の本能ではなく、成長し、広がり、自らを乗り越えようとする意志である。それはまず他人を支配したいという欲望ではない。あらゆる生命が自らを高め、世界に形を与えようとする衝動なのである。

関連項目:超人、遠近法主義

知性単一説

AVAverroès

アリストテレス『魂について』へのアヴェロエスの注解から引き出された説。人間が普遍を思考する知性は、各個人に固有なものではなく、ただひとつですべての人に共通である。トマス・アクィナスはこれに激しく反対した。

関連項目:能動知性

注意

WESimone Weil

シモーヌ・ヴェイユにとって、注意とは張りつめた努力ではなく、ひとつの受け入れの態勢である。思考を宙づりにし、それを空にして、現にあるものに対して開かれたものにすることである。それは祈りの素材であり、真の学びの素材でもあり、不幸な人々への、もっとも稀でもっとも純粋なかたちの寛大さである。

関連項目:不幸、脱創造

中観派 (マディヤマカ)

NANagarjuna

「中の学派」であり、その最初の偉大な師であるナーガールジュナの思想から生まれた。ものがそれ自身によって存在するという考えも、まったく存在しないという考えもともに退けることによって、ブッダの中道を受け継いでいる。

関連項目:中道、空、四句分別

中道

BOLe Bouddha NANagarjuna

二つの極端を避ける道。快楽の追求と自らを苦しめる苦行であり、ブッダは悟りの前にその両方を実践していた。より広くは、永遠の自己という考えと完全な断滅という考えのような、極端な立場を退ける。ナーガールジュナに由来する学派の名、中観派すなわち「中の学派」はここから来ている。

関連項目:八正道、中観派

中庸 (メソテース)

ARAristote

倫理的な徳とは、過剰と不足という二つの悪徳のあいだの中間を選ぶ性向である。勇気は無謀と臆病のあいだに、気前のよさは浪費とけちのあいだにある。この中間は数学的な平均ではない。それは状況によって異なり、思慮によって見分けられる。

関連項目:思慮、ハビトゥス

超越論的

KAKant

対象そのものではなく、認識を可能にするア・プリオリな条件にかかわること。あらゆる可能な経験を超えるものを指す「超越的」と混同してはならない。カントの哲学が超越論的と呼ばれるのは、精神がどのようにして経験を可能にするかを探究するからである。

関連項目:ア・プリオリ/ア・ポステリオリ、カテゴリー

超人 (Übermensch)

NINietzsche

『ツァラトゥストラはこう語った』には、「人間は動物と超人とのあいだに張り渡された一本の綱である」とある。超人は人種でも、生物学的に優れた存在でもない。それは自らを乗り越え、自らの価値を創造し、生の全体に然りと言う人間である。

関連項目:力への意志、永劫回帰

超絶主義 (アメリカ超越主義)

EMRalph Waldo Emerson

1830年代にニューイングランドで生まれた思想運動で、エマソンがその中心人物である。真理は伝統や制度によってではなく、直観と内的経験によって見いだされ、自然は精神を高める源泉であると主張する。この語はカントを思わせるが、カントの「超越論的」とは意味が異なる。

関連項目:大霊、透明な眼球、超越論的

治療としての哲学

WIWittgenstein

後期ウィトゲンシュタインにとって、哲学の問題は、言語がその日常の使用から切り離されて「空転する」ときに生じる。哲学者の課題は理論を築くことではなく、こうした混乱を解きほぐすことである。「哲学におけるあなたの目的は何か」という問いに、彼は「ハエにハエ取り壺からの出口を示してやること」と答える。

関連項目:意味とは使用である、論理哲学論考

創られざる自由

BRBerdiaev

神秘家ヤーコプ・ベーメに着想を得たベルジャーエフにとって、自由は存在よりも、さらには神よりも根源的である。自由は、神が創造したのではない底なしの深淵(ウングルント)から湧き出る。それゆえ、この自由から生まれる悪を神に帰することはできない。

関連項目:人格と個体、創造的行為

「である」から「べし」へ (ヒュームの法則)

HUHume

ヒュームは、多くの道徳家が、何であるかについての言明から、何であるべきかについての言明へと、断りなく移っていることに気づく。しかし単なる事実から、論理的に当為を導き出すことはできない。人々がある仕方で行動しているということは、彼らがそうすべきであるということを証明しない。

関連項目:理性は情念の奴隷である

定言命法

KAKant

追求する目的が何であれ、無条件に妥当する道徳的命令。その第一の定式は、普遍的法則となることを同時に意志できるような規則(格率)に従ってのみ行為せよ、と求める。別の定式は、自分自身のうちにも他人のうちにもある人間性を、常に同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないように求める。

関連項目:仮言命法、義務、自律

哲学的自殺

CACamus

「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ」と、カミュは『シーシュポスの神話』の冒頭に書く。彼は肉体的な自殺も、彼が哲学的自殺と呼ぶものも退ける。哲学的自殺とは、宗教的あるいは形而上学的な希望への跳躍であり、不条理を保ち続ける代わりにそれを消し去ってしまうことである。

関連項目:不条理

哲人王

PLPlaton

『国家』の主張。哲学者が王となるか、王が哲学者となるかしないかぎり、国家の不幸はやむことがない。善を知る者だけが正しく統治できるのである。

関連項目:善のイデア、魂の三部分説

天命

MEMencius

君主が徳をもって治め、民を慈しむ限り、天がその君主に権力を委ねるという原理。孟子にとって、民を虐げる暴君はこの天命を失う。それを倒すことは君主を弑することではなく、一人の悪人を誅することである。

関連項目:徳治

道具主義

DWJohn Dewey

デューイが自らのプラグマティズムにつけた名。観念や理論は、問題を解決し世界にはたらきかけるための道具であって、外的な実在の写しではない。それらは、道具のように、その有効性によって評価される。

関連項目:探究、傍観者的知識観の批判

洞窟の比喩

PLPlaton

『国家』の物語。洞窟の奥で縛られた囚人たちは、壁に映る影しか見ず、それを実在だと思いこんでいる。そのうちの一人が解き放たれ、苦労して光のほうへ登っていき、真の世界を、そして最後に太陽を見いだす。これは、感覚的な見かけからイデアと善へと導く哲学的教育の像である。

関連項目:感覚的世界/叡智的世界、善のイデア

逃走線

DLDeleuze

何かがある体系や組織や権力から逃れ出る道筋。逃走するとは行動を放棄することではない。それは発明すること、ある体系がほどけてゆく新しい道を引くことである。

関連項目:脱領土化

動物機械論

DEDescartes

動物は非常に複雑な自動機械であり、その動きはすべて時計の動きのように機械的に説明できるという説。デカルトによれば、動物が本当の言語をもたないことは、動物に思考がないことを示している。

関連項目:心身二元論

透明な眼球

EMRalph Waldo Emerson

随筆『自然』(1836年)のイメージ。ひとり森のなかで、エマソンは自分が「透明な眼球」になると言う。自分は無となり、すべてを見る。普遍的存在の流れが自分のなかを通り抜けてゆく。それは利己心から解き放たれた、自然との融合の経験である。

関連項目:大霊、超絶主義

徳

LALaozi

日本語の「徳」は道徳的な美徳の意味に解されがちだが、ここでは力や効力という古い意味である。それは存在者が道に従うときにもつ固有の力である。老子の作とされる書物の題名『道徳経』は、「道とその徳についての経典」を意味する。

関連項目:道

ドクサ/エピステーメー (思わく/知識)

PLPlaton

思わく(ドクサ)は感覚的で移ろいやすい世界にかかわる。それはたまたま正しいこともあるが、自らの根拠を説明することができない。知識(エピステーメー)はイデアにかかわる。それは原因を知っているので安定している。プラトンの哲学全体は、前者から後者へと移ることを目指している。

関連項目:感覚的世界/叡智的世界、イデア

徳治

KOConfucius MEMencius

法と刑罰によってではなく、模範によって治めること。孔子によれば、「之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し」。孟子はさらに、よい君主は民を養い、無益な戦争で民を疲れさせないと付け加える。

関連項目:天命、礼、正名

土壌主義 (ポチヴェンニチェストヴォ)

DODostoïevski

ドストエフスキーが共鳴した思潮。西欧的な教育によって民衆から切り離されたロシアの教養あるエリートは、「土壌」、すなわち素朴な民衆とその正教の信仰へと立ち返らなければならない。民衆と信仰こそが、西欧から来た合理主義や社会主義が失ってしまった真理を守っているのである。

土台/上部構造

MAMarx

土台とは社会の経済的な基礎、すなわち生産力と生産関係である。上部構造には法、政治、宗教、道徳、哲学が含まれる。マルクスにとって、上部構造を条件づけるのは経済的な土台である。エンゲルスはのちに「最終的には」と付け加えることになる。

関連項目:史的唯物論、イデオロギー

な

内在平面

DLDeleuze

ドゥルーズにとって、彼岸をもたないただひとつの現実の平面しか存在しない。神も、主権的な主体も、理想的な範型も、外から現実を基礎づけることはない。内在平面とは、哲学がその上で概念を創造する大地である。ドゥルーズはスピノザを、この内在を思考したがゆえに「哲学者たちの王」とみなす。

関連項目:概念の創造、神即自然

内面性

AUAugustin d’Hippone

アウグスティヌスにとって、真理と神が見いだされるのは、外へと散らばることによってではなく、自分自身のうちへと立ち帰ることによってである。彼は神に向かって、あなたは「私の最も内なるところよりもさらに内にいます」と語りかける。真理の探究は自己への帰還から始まる。

関連項目:魂の延長としての時間、信仰と理性

汝自身を知れ

SOSocrate

デルポイのアポロン神殿に刻まれた言葉で、ソクラテスが自らの信条とした。世界を知ると主張する前に、自分が何者であるかを知り、自分の知識の限界を認めなければならない。

関連項目:無知の知、魂の世話

二諦

NANagarjuna ŚAĀdi Śaṅkara

真理の二つの次元の区別。ナーガールジュナにとって、世俗諦は言葉と日常生活の真理であり、そこでは車も人も原因もはたらいている。勝義諦は、それらのどれもそれ自身によっては存在しないという真理である。後者には前者に依拠することによってのみ到達できる。シャンカラも同様に、多様な世界が実際的な実在性をもつ経験的次元(ヴィヤーヴァハーリカ)と、ブラフマンのみが実在である絶対的次元(パーラマールティカ)とを区別する。

関連項目:空、ブラフマン、マーヤー/ミティヤー

ニヒリズム

NINietzsche

最高の価値が価値を失う状況。もはや何ものも意味や目的をもたないように思われる。ニーチェにとって、それは神の死の帰結であると同時に、別の世界の名においてすでに生を軽蔑していた道徳の隠された底でもある。新しい価値を創造するためには、ニヒリズムを通り抜けなければならない。

関連項目:神の死、あらゆる価値の価値転換

入場券を返す

DODostoïevski

『カラマーゾフの兄弟』のなかでイワンは、たったひとりの罪のない子どもの苦しみによってあがなわれる普遍的な調和を拒む。自分は神を受け入れないのではない、ただこの世界への「入場券をうやうやしくお返しする」だけだ、と彼は言う。

関連項目:神がなければ、すべては許される、苦悩

二律背反 (アンチノミー)

KAKant

理性があらゆる可能な経験を超えるものを認識しようとするとき、必然的に陥る矛盾。カントは四つを挙げる。たとえば、世界は時間のうちに始まりをもつということも、もたないということも同じ強さで証明できるし、人間は自由であるということも、すべては自然の必然性に従うということも証明できる。これらの対立は認識の限界を明らかにする。

関連項目:物自体、実践理性の要請

認識の三種類

SPSpinoza

スピノザによる三つの認識の仕方。第一種の認識、すなわち想像知あるいは意見は、感覚や伝聞から生じ、誤りの唯一の源である。第二種の認識である理性は、すべてのものに共通する概念によって事物を認識する。第三種の認識である直観知は、神から出発して個物の本質を直接とらえる。至福へと導くのはこの直観知である。

関連項目:十全な観念/非十全な観念、至福

涅槃 (ニルヴァーナ)

BOLe Bouddha NANagarjuna

文字通りには「吹き消すこと」であり、燃料を与えられなくなった炎が消えるようなものである。それは貪り・怒り・迷いの消滅であり、したがって苦と輪廻の消滅である。涅槃は場所でも天国でもなく、解き放たれた安らぎの状態である。ナーガールジュナ(龍樹)は、涅槃は本性において輪廻と異ならないと付け加える。変わるのは、ものごとを正しく見る見方である。

関連項目:輪廻、四聖諦、悟り

根をもつこと

WESimone Weil

シモーヌ・ヴェイユにとって、魂には身体の欲求と同じくらい現実的な欲求がある。秩序、自由、真理、そしてとりわけ根をもつこと、すなわち過去を伝え未来を準備する共同体に生き生きと参与することである。戦争や征服や魂のない労働によって根こぎにされた民族は衰えてゆく。

関連項目:労働者の境遇

能産的自然/所産的自然 (natura naturans / natura naturata)

SPSpinoza

同じ自然を考える二つの仕方。能産的自然とは原因としての神であり、自らの本性の必然性のみによってすべてを生み出す力である。所産的自然とは、その力から生じるもののすべて、すなわちあらゆる様態、生み出されたあらゆるものである。一方に創造者が、他方に世界があるのではなく、原因としても結果としても見られる唯一の実在があるのである。

関連項目:神即自然、様態

能動知性

IBAvicenne

アリストテレスに由来する概念。アヴィセンナにとって、それは天の諸知性のうちの最後のものであり、人間の精神を照らし、それに可知的形相、すなわち普遍的な概念を与える。私たちは自分ひとりで知識を生み出すのではない。精神がそれを受け入れる準備ができたときに、知識を受け取るのである。

関連項目:流出、知性単一説

は

俳優についての逆説

DIDiderot

ディドロの主張。偉大な俳優とは、役の感情を本当に感じる者ではなく、冷静な頭を保ち、その感情を巧みに模倣する者である。逆説的にも、舞台で感受性を欠いていることこそが、観客をもっとも深く感動させるのである。

恥知らずを叩きつぶせ (Écrasez l'infâme)

VOVoltaire

ヴォルテールがしばしば手紙の結びに用いた言葉。「恥知らずなもの」とは、迷信と宗教的狂信、そして教義の名において迫害する教会の不寛容を指す。

関連項目:寛容、理神論

八正道

BOLe Bouddha

苦の消滅へと導く道であり、ともに修められる八つの側面からなる。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。ここで「正しい」とは、ふさわしいこと、安らぎへと導くことを意味する。

関連項目:四聖諦、中道

ハビトゥス (ヘクシス、習慣)

ARAristote TAThomas d’Aquin

行為の反復によって身につけられ、いわば第二の自然となる性向。アリストテレスによれば、人は正しい行為をなすことによって正しい人となる。竪琴を弾くことによって竪琴弾きになるのと同じである。アリストテレスをラテン語で読んだトマス・アクィナスは、そこではヘクシスがハビトゥスと訳されていたので、徳を善へと傾けるハビトゥスと定義した。

関連項目:中庸、幸福

パン・アフリカニズム

NKKwame Nkrumah

アフリカの政治的統一の構想。エンクルマにとって、孤立したアフリカ諸国それぞれの独立は、大陸全体の統一政府によって補われないかぎりもろいままである。それこそが、一国ずつアフリカを支配する大国に抵抗できる唯一の規模だからである。彼の著書『アフリカは統一されねばならない』(1963年)はその宣言である。

関連項目:新植民地主義

反抗

CACamus

人間が不正に対して否と言い、すべての人に共通だと気づいたひとつの価値に然りと言う運動。「われ反抗す、ゆえにわれら在り」と、カミュは『反抗的人間』に書く。反抗には限界がある。輝かしい未来の名において殺人を自らに許すとき、反抗は自らを裏切り、全体主義的な革命となる。

関連項目:不条理、節度

万人の万人に対する闘争

HOThomas Hobbes

ホッブズによる自然状態。共通の権力がなければ、誰もが他人を恐れ、先手を打とうとする。それは必ずしも絶え間ない戦闘ではなく、戦争へのたえざる構えであり、労働も技芸も安全も不可能にする。この考えはしばしば「人間は人間にとって狼である」という古い言葉で要約される。

関連項目:自然状態、リヴァイアサン

万物

LALaozi

存在するもの全体を指す中国語の表現。『道徳経』によれば、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」。

関連項目:道、陰陽

万物斉同 (観点の相対性)

ZHZhuangzi

荘子にとって、大と小、美と醜、是と非といった私たちの区別は、ある立場から見たときにしか成り立たない。一方から見て「これ」であるものは、他方から見れば「あれ」である。聖人はどちらの側にもつかず、「道枢」に立つ。そこからはすべての立場が同時に見えるのである。

関連項目:道、胡蝶の夢

微小表象

LELeibniz

一つひとつは気づかれないほど弱いが、その総和が意識的な効果を生む知覚。海のざわめきは一つひとつの波の音からなるが、私たちはそれを別々には聞き取らない。自然は決して飛躍しない。意識と無意識のあいだには無限の段階があるのである。

関連項目:モナド、無意識

必然的存在者

IBAvicenne

存在することがその本質そのものであり、それゆえ存在しないことのありえない存在者。他のすべてのものは「それ自体では可能的」である。それらは存在しないこともありえ、原因から存在を受け取る。原因の連鎖が無限にさかのぼることはできないので、それ自体によって必然的な存在者がなければならず、それが神である。

関連項目:本質と存在、流出

人は女に生まれるのではない、女になるのだ

BESimone de Beauvoir

『第二の性』(1949年)の有名な一文。「女性の本性」と呼ばれるものは生物学的な運命ではなく、教育、歴史、社会的状況の産物である。生物学的、心理的、経済的ないかなる運命も、それだけで社会のなかで女性がとる姿を決定することはない。

関連項目:他者、実存は本質に先立つ、状況

百科全書

DIDiderot

1751年からディドロとダランベールが編集した、学問・技芸・工芸の大規模な体系的辞典。職人の知識をも含めて当時の知識を集めて広め、偏見を後退させることを目指した。

比喩的解釈 (タアウィール)

AVAverroès

聖典の字義どおりの意味が確実な論証と矛盾するとき、アヴェロエスは、その比喩的な意味を求めて解釈しなければならないと考える。この読み方は論証の能力をもつ人々だけのものであり、それを誰にでも広めれば混乱を招くだけである。彼には「二重真理」説が誤って帰されてきたが、彼にとって真理はひとつである。

関連項目:信仰と理性、三種類の人々

表象 (ファンタシアー)

EPÉpictète

ものごとが私たちの心に与える印象。人を不安にさせるのはものごとではなく、ものごとについての判断である。死は何ら恐ろしいものではなく、死は恐ろしいという思いこみこそが恐ろしいのである。哲学の仕事は、それぞれの表象に同意を与える前に、それを吟味することである。

関連項目:私たちの権内にあるもの、アタラクシア

不安

SAJean-Paul Sartre

サルトルにおいて、不安は外的な危険への恐れではなく、私たちの自由の意識である。私たちが正しい選択をするという保証は何もなく、その責任を負うのは私たちだけである。不安は私たちの責任のしるしである。

関連項目:自由の刑に処せられている

フォイエルバッハに関する第十一テーゼ

MAMarx

「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけである。肝腎なのは、それを変えることである」。この有名な言葉によってマルクスは、思考が実践、すなわち世界にはたらきかける行動となることを求める。

関連項目:史的唯物論

フォルトゥナ (運命)

MCMachiavel

予測できない状況の偶然。マキャヴェッリによれば、フォルトゥナは私たちの行動の半分を支配するが、残りの半分は私たちに委ねる。それは氾濫する川に似ている。止めることはできないが、穏やかなときに堤防や水路を築いて、その猛威を抑えることはできるのである。

関連項目:ヴィルトゥ

不可識別者同一の原理

LELeibniz

自然のなかに完全に同一な二つのものは存在しない。何ひとつ違わない二つのものは二つではなく、ひとつであろう。ライプニッツは、ハノーファー選帝侯妃に挑まれたある紳士が、庭じゅうを探しまわって、まったく同じ二枚の木の葉を見つけようとしたが無駄だったという話を伝えている。

関連項目:モナド

複数性

HAHannah Arendt

地上に住むのは「人間」ではなく人々であるという事実。各人は唯一であり、しかもすべての人は平等である。アーレントにとって、複数性はあらゆる政治的生活の条件である。権力は人々がともに行動するときに生まれる。

関連項目:権力と暴力、労働・仕事・活動

不幸 (malheur)

WESimone Weil

シモーヌ・ヴェイユにとって、不幸は単なる苦しみとは異なる。それは魂全体をとらえ、隷属の刻印を押し、魂を物の状態にまで貶める。しかし、そこから逃げることも、それを否定することもしなければ、不幸は神へと至る道となりうる。

関連項目:力、注意

不条理

CACamus

カミュにおいて、不条理は人間のうちにも世界のうちにもなく、両者の対峙のうちにある。人間は意味と明晰さを求めるが、世界はそれに理不尽な沈黙で応える。問題は、不条理から逃げることでも否定することでもなく、それを十分に自覚して生きることである。

関連項目:シーシュポス、哲学的自殺、反抗

付託 (アディヤーサ)

ŚAĀdi Śaṅkara

シャンカラによる錯覚の仕組み。私たちはある実在の上に、それでないものを投影する。薄暗がりのなかで縄を蛇と見誤るように。同じように、私たちは自己の上に身体や限界や多様性を重ねてしまう。光がさせば蛇は消え、縄だけが残る。

関連項目:無明、マーヤー/ミティヤー

二つの国

AUAugustin d’Hippone

『神の国』の主題。二つの愛が二つの国をつくった。神を軽んじるまでの自己愛が地の国をつくり、自己を軽んじるまでの神への愛が天の国をつくった。両者はこの世において終わりの時まで入り混じっており、いかなる国家も神の国と同一ではない。

関連項目:恩寵

物化

ZHZhuangzi

すべてのものは絶えず別のものへと変わってゆく。生は死に、死は生に変わる。季節がめぐるように。妻が死んだとき、荘子は泣いたあと、盆を叩いて歌いはじめた。いつまでも嘆き悲しむのは、ものごとの流れを理解していないことだ、と彼は言った。

関連項目:胡蝶の夢、道

不動の動者 (第一動者)

ARAristote TAThomas d’Aquin

宇宙におけるあらゆる運動の第一原理。自らは動かされずに他を動かす、永遠で不動の存在であり、愛される対象が自らは動かずに引きつけるようにして動かす。アリストテレスはそれを、自己自身を思惟する思惟として描く。トマス・アクィナスは神へと至る五つの道の第一の道で、これに着想を得ている。

関連項目:現実態と可能態、五つの道

不二一元論 (アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)

ŚAĀdi Śaṅkara

シャンカラを偉大な師とする思想の学派。アドヴァイタとは「二ではない」という意味である。一方に神が、他方に世界と魂があるのではなく、ただひとつの実在、すなわちブラフマンがあるのである。ヴェーダーンタは「ヴェーダの終わり」を意味し、インドの聖典であるウパニシャッドの解釈を指す。

関連項目:ブラフマン、アートマン

不平等の起源

RORousseau

ルソーによれば、人間のあいだには力や健康といった自然的な差異が確かにあるが、それはほとんど重要ではない。本当の不平等、すなわち道徳的・政治的な不平等は自然なものではない。それは社会から、とりわけ私有財産の制度から生まれる。「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と言うことを思いつき、それを信じるほど単純な人々を見つけた最初の者が、市民社会の真の創立者であった」。

関連項目:自己愛/利己愛、完成可能性

プラグマティズム

PECharles Sanders Peirce JAWilliam James DWJohn Dewey RYRichard Rorty

十九世紀末にアメリカで生まれ、観念をその実際的な効果によって評価する哲学の潮流。パースが、概念の意味を明確にする方法として最初の定式を与えた。ジェイムズはそれを真理そのものにまで広げた。経験のなかでうまくいくものが真である、と。デューイはそれを探究と行為の理論にした。ローティはそれを徹底させた。実在に対応するような真理を探すのはやめるべきだ、と。

関連項目:プラグマティズムの格率、真理、探究、終極の語彙

プラグマティズムの格率

PECharles Sanders Peirce

パースが私たちの観念を明晰にするために提案した規則。ある概念が何を意味するかを知るには、その対象がもちうると考えられる実際的な効果を考察しなければならない。それらの効果についての私たちの概念こそが、対象についての私たちの概念のすべてである。たとえばあるものが「硬い」と言うことは、他の多くのものがそれに傷をつけられないと言うことである。

関連項目:プラグマティズム、信念と疑念

ブラフマン

ŚAĀdi Śaṅkara

絶対的で唯一の実在であり、「第二のものをもたない」。シャンカラにとって、ブラフマンは部分をもたず、それに帰することのできる属性ももたない(ニルグナ)。それは純粋な存在・意識・歓喜である。多様な世界と分かれた個々の自己は、無明によって生じたブラフマンの見かけにすぎない。

関連項目:アートマン、不二一元論、無明

プロレタリアート

MAMarx

生産手段を所有せず、生きるために自らの労働力を売らなければならない賃金労働者の階級。マルクスにとって、プロレタリアートはブルジョワジーを打倒し、階級そのものを廃止する使命を負っている。

関連項目:階級闘争、共産主義

文化への不満 (文化の中の居心地悪さ)

FRFreud

フロイトの論文の題名(1930年)。文化は人間に、性的・攻撃的な欲動の満足を断念することを求める。この断念は罪悪感と不満足を生むが、それは偶然のものではなく、文明化された生活に本来そなわったものである。

関連項目:死の欲動、昇華

弁証法

PLPlaton MAMarx

プラトンにおいては、問いと答えによって対話する技術であり、さらに精神が単なる仮説からイデアと善へと上昇していく方法である。彼にとってそれは最高の学問である。ヘーゲルの継承者であるマルクスにおいては、弁証法は現実そのものの運動、すなわち矛盾を通じて進む運動を指す。歴史を変えるのは社会階級どうしの闘争なのである。

関連項目:イデア、史的唯物論、階級闘争

弁神論 (神義論)

LELeibniz

ライプニッツが、ギリシア語のテオス(「神」)とディケー(「正義」)からつくった語。悪の存在を前にして神を弁護することである。善なる神がなぜ悪を許すのか。ライプニッツは、悪は最善の可能世界の一部であり、私たちはその世界のごく一部しか見ていないのだと答える。

関連項目:最善の可能世界

傍観者的知識観の批判

DWJohn Dewey

デューイは、知るとは傍観者のように世界を外から眺めることだという、ギリシア人から受け継がれた考えに反対する。彼にとって、知ることは世界のなかで、世界にはたらきかけて行為するひとつの仕方である。

関連項目:道具主義、自然の鏡

方法的懐疑

DEDescartes PECharles Sanders Peirce

疑いうるものはすべて偽として退けるというデカルトの手続き。ときに欺く感覚、夢、さらには数学までも、欺く神を、ついで悪しき霊を想定することによって疑い、絶対的な確実性を見いだそうとする。これは懐疑論ではない。懐疑は手段であって目的ではないのである。パースはのちに、それは私たちの信念に実際の影響を与えない、見せかけの懐疑だと批判することになる。

関連項目:コギト、信念と疑念

方法の規則

DEDescartes

『方法序説』の四つの規則。明証的なもの以外は真として受け入れないこと。それぞれの難問を必要なだけ多くの部分に分けること。もっとも単純なものからもっとも複雑なものへと、順序に従って思考を導くこと。何も見落としていないと確信できるほど完全な枚挙を行うこと。

関連項目:明晰判明な観念、暫定的道徳

暴力による悪への無抵抗

TOTolstoï

トルストイにとって、山上の垂訓から引き出されたキリストの教えの核心。悪に悪で応えず、暴力に暴力で応えないこと。戦争や裁判をも断罪するこの思想は、トルストイと文通したガンディーに影響を与えた。

関連項目:神の国は汝らのうちにあり、国家批判

樸 (あらき)

LALaozi

まだ削られていない木。区別や欲望や人為的な知識が生じる以前の、根源的な素朴さの象徴である。樸に帰るとは、野心も作為もない素朴な生き方を取り戻すことである。

関連項目:自然、虚

ポリス的動物 (政治的動物)

ARAristote

人間は本性上ポリス的(政治的)動物である。人間はポリスのなかで生きることによってのみ、自らの本性を十分に実現することができる。言葉をもつ人間は、他者とともに正と不正について語り合うことができる。いかなるポリスにも属さずに生きる者は、アリストテレスによれば、獣か神かのいずれかである。

関連項目:幸福

本質と存在

IBAvicenne TAThomas d’Aquin

ものの本質とはそれが何であるかであり、その存在とはそれがあるという事実である。アヴィセンナ(イブン・シーナー)は両者をはっきり区別する。馬が何であるかを、馬が実際にいるかどうかを知らずに完全に考えることができる。したがって、あらゆる被造物において存在は本質に付け加わるものであり、神においてのみ両者はひとつである。トマス・アクィナスはこの区別を受け継ぎ、自らの思想の柱とした。

関連項目:必然的存在者、自存する存在そのもの

ま

マーヤー/ミティヤー

ŚAĀdi Śaṅkara

シャンカラによる世界の身分。ブラフマンだけが実在であるから、世界は絶対的な意味では実在ではない。しかし、四角い円のように純粋に非実在でもない。世界は現れ、はたらいているからである。それはミティヤー、すなわち「虚妄」と呼ばれる。実在でも非実在でもなく、規定できないもの(アニルヴァチャニーヤ)であり、目覚めるまでの夢にたとえられる。マーヤーとは、この多様性を現れさせる幻力を指す。

関連項目:付託、二諦

マキャヴェリズム

MCMachiavel

マキャヴェッリの名からつくられた語で、冷笑的で手段を選ばない政治的策略を指す。この一般的な意味は彼の思想を部分的に裏切っている。マキャヴェッリは権力の手段を冷静に描いているが、それを国家の安全と都市(共同体)の自由に従わせているのである。

関連項目:愛されるより恐れられよ、事物の実際の真実

道 (タオ)

LALaozi ZHZhuangzi

「みち」を意味する中国語。老子にとって、それは万物の名もなき根源であり、万物を生み、万物を貫きながら、決してそれを自分のものにしない。それは言葉を逃れる。「道の道とすべきは、常の道に非ず」。荘子は、道がもっとも卑しいものに至るまであらゆるもののうちにあり、どの立場にも固執せずにすべての立場を包み込むと見る。道は定義するものではなく、それに調和するものである。

関連項目:徳、無為、自然

民衆の阿片

MAMarx

宗教についてのマルクスの言葉。彼は宗教を「抑圧された生きものの嘆息」とも呼ぶ。宗教は現実の悲惨を慰めるが、同時にそれと闘うことから人々をそらす。宗教を批判することは、まず何よりも、そのような慰めを必要とする世界を批判することなのである。

関連項目:イデオロギー

無為

LALaozi

「為すこと無し」。何もしないでいることではなく、無理に強いることなく、事物の自然な流れに沿って行動することである。水が障害物を回りこみながら、ついには石をうがつように。無為を行う君主は自らを押しつけることなく治めるので、民はすべてを自分たちで成し遂げたと思う。

関連項目:道、自然、虚

無意識

FRFreud

心的生活のうち、意識を逃れ、単なる内省によっては到達できない部分。フロイトにとって、それは抑圧された欲望と記憶からなり、それらは私たちにはたらきかけ続け、夢、言い間違い、失錯行為、症状のなかに現れる。

関連項目:抑圧、エス・自我・超自我、微小表象

無我 (アナッター)

BOLe Bouddha

自己がないこと。私たちのうちには、永続的で固定した、独立した「私」は存在しない。私たちが「私」と呼ぶものは、五つの構成要素——身体(色)、感受(受)、知覚(想)、心の形成作用(行)、意識(識)——の移り変わる集まりである。自分を不変の自己だと思いこむことは執着を育て、それゆえ苦を育てる。

関連項目:無常、縁起

無常 (アニッチャ)

BOLe Bouddha

つくられたものはすべて変化し、ついには消えてゆく。一瞬から次の瞬間まで同じままであるものは何もない。苦、無我とともに、無常はあらゆる存在の三つの特徴(三相)のひとつである。

関連項目:無我、苦

無知の知

SOSocrate

ソクラテスに固有の知恵。彼は自分が他の人々より賢いのはただ一点、知らないことを知っていると思っていない点においてだけだと考える。『ソクラテスの弁明』によれば、彼は自分を最も賢い者と告げたデルポイの神託をこのように理解した。これはしばしば「私は自分が何も知らないことを知っている」という言葉で要約されるが、この言い回しそのものはプラトンの著作には見られない。

関連項目:汝自身を知れ、ソクラテス的アイロニー

無明 (アヴィディヤー)

ŚAĀdi Śaṅkara

多様な世界と個人としての自己を究極の実在と取り違えさせる形而上学的な無知。それは単なる情報の不足ではなく、私たちが何者であるかについての根本的な誤りであり、知によってのみ消し去ることができる。

関連項目:付託、解脱の知

無用の用

ZHZhuangzi

「人は皆有用の用を知りて、無用の用を知る莫きなり」。節くれだって曲がりくねり、どの大工も見向きもしない木は、斧を免れて何百年も生きる。荘子はこうして、効率への執着や野心に用心するよう促す。

関連項目:逍遥遊

明晰判明な観念

DEDescartes

観念は、注意深い精神に現前し明らかであるとき明晰であり、他のすべての観念からはっきり区別されていて曖昧なところを何も含まないとき判明である。デカルトにとって、私たちが明晰判明に考えるものはすべて真であり、それを保証するのは神の誠実である。

関連項目:神の誠実、方法の規則

モナド

LELeibniz

ギリシア語のモナス、「単位」に由来する。ライプニッツにとって、実在は部分をもたない単純な実体、すなわちモナドからなる。モナドには「何かが出入りできるような窓がない」。それでも各モナドは、さまざまな方向から眺められた町のように、それぞれの視点から宇宙全体を映し出している。

関連項目:予定調和、微小表象

物自体 (ヌーメノン)

KAKant

私たちがそれを知覚する仕方とは無関係に、それ自体としてあるがままのもの。私たちはそれを考えることはできても、決して認識することはできない。私たちに近づけるのは、空間、時間、カテゴリーを通して私たちに現れるものだけだからである。ヌーメノン(叡智体)という語は、ただ思考されるだけの対象としての物自体を指す。

関連項目:現象、空間と時間

や

役者のたとえ

EPÉpictète

『提要』のたとえ。あなたは劇の役者であり、その役は作者が選んだものである。短い役か長い役か、乞食か、足の不自由な人か、役人か。役を選ぶことはあなたの仕事ではない。あなたの務めは、与えられた役を立派に演じることである。

関連項目:自然に従って生きる

唯物論

DIDiderot

さまざまに組織された物質しか存在しないという説。ディドロにとって、思考や感受性は分離した魂から来るのではない。物質が生物のようにある仕方で組織されたとき、そこから生まれてくるのである。彼は、物質全体に広がる感受性さえ想像している。

関連項目:決定論、史的唯物論

夢

FRFreud

フロイトにとって、夢とは抑圧された願望の偽装された充足である。目覚めたときに覚えている内容は潜在的な意味を隠しており、それは自由連想によって取り戻すことができる。夢解釈は、彼の言葉によれば、無意識へと至る「王道」である。

関連項目:無意識、自由連想

様態

SPSpinoza

他のもののうちに存在し、他のものによって考えられるもの。個物——石、木、人間——は唯一の実体の様態であり、ある特定の属性のもとでの神すなわち自然のあり方である。

関連項目:実体、属性

抑圧

FRFreud

受け入れがたいと判断された欲望や記憶を、心が無意識のなかへ押し戻すメカニズム。抑圧されたものは消えるのではない。それは偽装されたかたちで、夢や言い間違いや神経症の症状のなかに戻ってこようとする。

関連項目:無意識、夢

欲動

FRFreud

身体と心の境界にある内的な圧力であり、活動をある目標、すなわち満足を得ることへと向かわせる。動物の本能とは異なり、あらかじめ定められた対象をもたず、対象や目標を変えることができる。

関連項目:リビドー、死の欲動、昇華

欲望する生産 (欲望機械)

DLDeleuze

『アンチ・オイディプス』(1972年)のなかでドゥルーズとガタリは、欲望を欠如とみなす考えに反対する。欲望は生産し、接続や流れや現実をつくり出す。彼らは精神分析が欲望を父・母・子の家族の三角形に還元したことを批判する。

関連項目:エディプス・コンプレックス、器官なき身体

欲望の分類

EPIÉpicure

エピクロスは三種類の欲望を区別する。自然的で必要な欲望(食べる、飲む、身を守る)、自然的だが必要でない欲望(贅沢な料理)、そして自然的でも必要でもないむなしい欲望(富や名声)である。幸福になるには最初のものを満たせば十分である。わずかなもので満足できる人は自由なのである。

関連項目:アタラクシア、四つの薬

四つの薬 (テトラファルマコス)

EPIÉpicure

エピクロスの教えを四つの格言にまとめたもの。神々は恐れるに足りない。死は恐れるに足りない。善は容易に得られる。悪は容易に耐えられる。

関連項目:死は私たちにとって何ものでもない、欲望の分類

予定調和

LELeibniz

モナドは互いに作用し合わない。それらが一致するのは、神がはじめからその展開を、互いに完全に対応するように定めておいたからである。よく調整された二つの時計が、互いに連絡し合わなくても同じ時刻を示すように。ライプニッツは魂と身体の一致をこのように説明する。

関連項目:モナド

ら

楽天主義批判

VOVoltaire

十八世紀の楽天主義(オプティミスム)とは、最善の可能世界においては「すべては善である」とする教説であった。1755年のリスボン大地震ののち、ヴォルテールは現実の苦しみを前にしてそれを不謹慎だと考え、『カンディード』で嘲笑した。悪は存在するのであり、それを正当化しても何の役にも立たない。

関連項目:最善の可能世界、私たちの畑を耕さなければならない

ラモーの甥

DIDiderot

分別ある哲学者の「私」と、音楽家ラモーの甥で、皮肉屋で天才肌のボヘミアンである「彼」とのあいだのディドロの対話。矛盾に貫かれた人格を描き、当時の道徳的確信を試練にかける。

関連項目:俳優についての逆説

リヴァイアサン

HOThomas Hobbes

聖書に登場する海の怪物で、ホッブズはこれを国家の象徴とした。平和を保障するために市民たちが自らの力を委ねた、多数の市民からなる「可死の神」である。その権力は絶対的で分割できないものでなければならない。分割された権力は内戦に逆戻りするからである。しかし国家が臣民の生命をもはや守らないなら、臣民はもはや国家に服従する義務を負わない。

関連項目:社会契約、万人の万人に対する闘争

理神論

VOVoltaire

宇宙の秩序の第一原因である創造主としての神を信じながら、いかなる啓示宗教にも、その教義にも聖職者にも従わない立場。ヴォルテールはこれをひとつの比喩で言い表す。宇宙は時計のようなものであり、時計職人なしにこの時計が存在するとは考えられない、と。

関連項目:恥知らずを叩きつぶせ

理性の真理/事実の真理

LELeibniz

理性の真理は必然的であり、数学におけるように、その反対は不可能である。事実の真理は偶然的であり、「カエサルはルビコン川を渡った」のように、その反対も可能である。事実の真理は、論理的必然性よりもむしろ充足理由律にもとづいている。

関連項目:充足理由律

理性は情念の奴隷である

HUHume

『人間本性論』の言葉。「理性は情念の奴隷であり、またそうあるべきである」。理性だけでは決して私たちを行動へと動かすことはできず、情念が欲するものを手に入れるための手段を示すだけである。私たちを行動させ、善悪を判断させるのは感情であり、とりわけ道徳感情である。

関連項目:共感、「である」から「べし」へ

リゾーム

DLDeleuze

植物学から取られたイメージ(シバムギの地下茎のような)で、『千のプラトー』で提示された。幹と階層的な枝をもつ樹木とは違い、リゾームには中心も起源もない。どの点も他のどの点ともつながることができる。それは思考や文化やネットワークを考えるためのモデルである。

関連項目:脱領土化、生成

リビドー

FRFreud

性欲動のエネルギー。ここでの性とは、子ども時代からの快の追求を含む、フロイトが与えた広い意味での性である。リビドーはきわめて多様な対象に向けられ、変容することができる。

関連項目:欲動、昇華

リベラル・アイロニスト

RYRichard Rorty

ローティが『偶然性・アイロニー・連帯』(1989年)で提示した人物像。アイロニストは、自分自身の終極の語彙が偶然的であり、別のものでもありえたことを知っている。リベラルは、残酷さこそ私たちのなしうる最悪のことだと考える。人は両者を、ひとつの理論に基礎づけることなく、同時に兼ね備えることができる。

関連項目:終極の語彙、連帯

流出

IBAvicenne

アヴィセンナによる、世界が神から生じる仕方。恣意的な選択によってではなく、光が太陽から流れ出るように必然的に生じる。必然的存在者から第一の知性が流出し、さらに他の知性が段階を追って流出して、能動知性と月下の世界にまで至る。

関連項目:必然的存在者、能動知性

両義性のモラル

BESimone de Beauvoir

シモーヌ・ド・ボーヴォワールの論考『両義性のモラル』(1947年)から取られた概念。人間は両義的である。自由であると同時に、身体と世界と歴史にとらわれている。実存主義的な道徳はこの両義性から逃げない。それは自らの自由を意志することを求めるが、それは他者の自由をも意志することを意味する。

関連項目:状況、自己欺瞞

良心

RORousseau

『サヴォワの助任司祭の信仰告白』のなかで、ルソーは良心を「神聖な本能」とたたえる。それは哲学者たちの推論よりも確かな内なる感情であり、私たちに善を愛させ、自分の行いを判断させる。

関連項目:憐れみ

輪廻 (サンサーラ)

BOLe Bouddha NANagarjuna

無明、渇愛、業によって続けられる生と死の循環。仏道の目的は、悟りによってそこから抜け出すことである。ナーガールジュナにとって、輪廻と涅槃を隔てる実在の境界はない。両者は見方において異なるのであって、本性において異なるのではない。

関連項目:涅槃、業、渇愛

ルサンチマン

NINietzsche

行動するにはあまりに弱く、想像のなかで復讐する者の恨みの感情。『道徳の系譜』によれば、それは価値を創造するようになる。自分自身に然りと言うことができないので、まず強いものに否と言い、自分を支配するものを「悪」と呼び、自分の弱さを「善」と呼ぶのである。

関連項目:主人道徳/奴隷道徳、系譜学

礼

KOConfucius MEMencius

広い意味での礼。儀式だけでなく、社会生活を律する礼儀、慣習、作法を含む。孔子にとって、礼は空虚な形式ではない。礼は仁に形を与え、感情を育てる。孟子は礼を四徳のひとつとし、辞譲の心という芽生えから生じるものとした。

関連項目:仁、孝

連帯

RYRichard Rorty

ローティにとって、人間の連帯は、哲学によって証明された共通の人間本性にもとづくのではない。それはつくり上げられるものであり、とりわけ文学や物語や証言を通じて築かれる。それらは私たちを他者の苦しみに敏感にし、私たちが「われわれ」と呼ぶ人々の輪を広げるのである。

関連項目:リベラル・アイロニスト

労働・仕事・活動 (vita activa)

HAHannah Arendt

アーレントによる人間の条件の三つの活動。労働は生命の必要に応えるものであり、持続するものを何も残さない。仕事は持続する物をつくり出し、それが共通の世界を形づくる。活動は、公共の空間において他者の前で言葉と行いによってなされるものであり、本来の意味で政治的な活動である。

関連項目:複数性、出生性

労働者の境遇

WESimone Weil

哲学教師であったシモーヌ・ヴェイユは、労働者の境遇を内側から知るために、1934年から1935年にかけて数か月間工場で働いた。彼女はそこで、思考を押しつぶし人間を歯車にしてしまう労働を発見し、労働にその尊厳を取り戻させる道を探った。

関連項目:根をもつこと、不幸

労働力

MAMarx

働く能力。生産手段をもたない労働者は、それを商品として売らざるをえない。マルクスは、資本家が買う労働力と、労働力そのものの価値よりも多くの価値を生み出す実際の労働とを区別する。

関連項目:剰余価値、疎外

論駁 (エレンコス)

SOSocrate

ソクラテスの吟味の方法。彼は、勇気、正義、敬虔など、相手が知っていると主張することについて問いかけ、その答えが互いに矛盾していることを示す。目的は相手に恥をかかせることではなく、知っているという誤った思いこみから解放することであり、それが探究の第一歩となる。

関連項目:ソクラテス的アイロニー、産婆術

論理哲学論考 (Tractatus)

WIWittgenstein

『論理哲学論考』(1921年)はウィトゲンシュタインの最初の著作である。そこでは言語は世界の論理的な像として捉えられ、語ることのできないもの——倫理、人生の意味、神秘的なもの——は、ただ示されうるだけである。本書は「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という一文で終わる。ウィトゲンシュタインはのちに、その大部分を批判することになる。

関連項目:意味とは使用である、治療としての哲学

わ

私たちの権内にあるもの

EPÉpictète

エピクテトスの『提要』の冒頭に置かれた区別。あるものは私たちの権内にある——判断、欲求、忌避。あるものは私たちの権内にない——身体、評判、財産、出来事。あらゆる不幸は、自分のものでないものを自分のものとして扱うことから生じる。知恵とは、自分の権内にあることに努力を集中し、それ以外を受け入れることである。

関連項目:表象、意志、内なる自由

私たちの畑を耕さなければならない

VOVoltaire

『カンディード』の最後の一文。世界の意味をめぐる壮大な思弁を捨てたのち、カンディードと仲間たちは、具体的で役に立つ労働のうちに一種の知恵を見いだす。労働は私たちから「退屈、悪徳、貧乏という三つの大きな不幸」を遠ざけてくれるのである。

関連項目:楽天主義批判

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